メトロ車内広告、「暮しの手帖」の索引、石巻
3月22日、奥さんと京都をぶらぶら歩いていたら、あるお店のウインドーでこんなのを見つけた。二条御幸町あたり。森英二郎さんが絵を描いて、私がデザインした「プレイガイドジャーナル」の表紙。ロゴのレタリングも私。右の人物は、若き日の井筒和幸監督である。左の温泉浴女の絵は、どうしてこんな表紙にしたのか思い出せない。
今どき珍しい、タレントの顔じゃない、写真でもない広告。シンプルなビール瓶の絵だけ。でも、何これ? クリシェなコピー文。広告は時代をあらわすというが、このぬるさ。今はこんな時代ということか。キャッチフレーズとヴィジュアルがつながらない。シリーズのコピーにもつながりがない。どんな思いつきなんだろうか。
GRAND KIRINというコンビニ限定のビール。コンビニ限定なのに、たいそうなネーミングとボトルデザインが不思議。コンビニのお手軽さにどんな関連があるのだろう。それに、こんなわからない広告。書体は小塚ゴシック。コカ・コーラは新ゴだったが、こっちもこんな書体。デザイナーは他に書体を知らないのか。小塚はMacにデフォルトで入っているフォントだよね。最後のは中野駅の構内のポスター。
この広告は謎だ。くだらない謎だ。きっと気の利いたことを言っているつもりんなんだろう。おまけに、キャッチフレーズを英文にして小さくそえてある。どういうこと? それにしても、コピーライターは句点の丸がお好き。こういう文章で、句点は邪魔じゃない? いつまでこんなことをしているのだろうか。新しくない。これなら現代の若手の歌人や俳人の作品を起用すれば、もっと面白くて刺激があるだろう。どうせやるのなら、彼ら詩人のレベルぐらいは目指してほしい。広告だってそれぐらいの気概がほしい。
「バルコニーからの景色が、日々、違って見える人生。」
「あの人は、いつも手ぶらで、絵になるね。」
「米大統領選と自分たちの毎日のどこに関係があるのかな、などと思いつつ…私の夜の時間。」
「平和の国の、春を噛みしめる(いや、マジで)。」
「あのヒバリ、笑いながら鳴いてるよ。」
「味わってないこと、味わってみたら。と、春が言う。」
「弾丸のような昼間。綿雲のような夜。」
東西線早稲田駅のプラットホームにある、水飲み場の水道がテープでぐるぐる巻き。上りと下りのホーム、両方とも。SMボンデージの水道か。かわいそう。
安田靫彦展、メトロ窓上の広告。こんな珍妙なものは初めてだ。展覧会の会期の日付が縦組で、両方の間に〈~(波形/にょろ)〉が縦に挟まっている。会期など、この〈ニョロ〉がなくても、いつからいつまでかは見ればすぐわかる。若い日付のほうが先にくるのは当たり前だから。どうしても、いつからいつまでとわかるように何かしておきたいのなら、それぞれの日付の下に小さく〈から(もしくは、より)〉と〈まで〉を入れておけばよい。これならシンメトリーも保てる。始まりの日付のしたに〈波形〉を入れると、シンメトリーが崩れるから、こんなお笑いをかましたのだろう。デザイナーと東京国立近代美術館の展覧会の担当者は何を考えているのか。原則にこだわって世にも不思議な文字組ができた。面白いけどね。でも、やめてくれ。
3月12日の土曜日の「久米宏のラジオなんですけど」。その週のはじめの月曜日から水曜日まで3日間(彼は番組で2011年12月11日に4泊5日で、石巻と女川を訪れている)、久米宏が4年ぶりに石巻と女川に行き、街の人にインタビューをしていた。道を歩きながら会った人に次々と、ぶっつけで話を聞いている。その時に出会った人たちと再び電話で話す。面白かった。これはYou Tubeで全部聴けます。3月11日は、東日本大震災の5年目。テレビで震災のことをやっていたのはNHKだけ。あのトンデモ会長がいるNHKだけが、この日にかぎらず、ずっとまじめにずっと大震災を追った番組をつくりつづけている。民放はどこも、3月11日だというのに何もしない。この久米宏のラジオみたいに、彼がテレビでもやれば楽しめる番組ができたのに残念だ。久米宏はラジオだと面白い。
今年の1月に、いがらしみきおさんの還暦と『ぼのぼの』30周年を記念のパーティで仙台に行ったついでに、友人に勧められて石巻へ行った。その時の写真。
市役所の前に仮面ライダー。町中に石ノ森キャラクターの像がある。
家具屋さんの看板。
旧観慶丸本店跡、博物館になるらしい。
観慶丸本店で買った仙台張子の酉と丑。
仙台張子の酉と丑の箱。
石ノ森萬画館の近くの交差点。このまわりは工事中。
廃屋の壁。
シャッターの前にある鋳物の箱。
仙石線(2015年5月に全線運行再開)の石巻駅で。
駅に停まっていた、石ノ森キャラクターの電車。
仙台に戻る途中の車窓。
タイガーブックスが残してくれた「暮しの手帖」の索引がある。
この二冊は「暮しの手帖」の60号目と100号目の索引。附録だったのだろうか。
「暮しの手帖 項目別 索引 第1号から第60号まで」1951年/28p/A5判/中綴じ
黄色と黒の2色の表紙は、花森安治の描き文字と絵。描き文字はベタを塗りつぶさないタッチ。本文は縦組で書体は岩田明朝。小見出しは8ポゴシック、連載タイトルは8ポ明朝、小さな項目は6ポ明朝。罫で囲んで、四段組、段間にも罫がある。囲み罫の外側のマージンがゆったりとられている。小見出しの前後も余裕がある、。大きな項目は9ポゴシック、ベタの短冊にして文字白抜き。欄外に柱が縦組で入っている。丁寧にデザインされて読みやすい。巻末の自社単行本の広告がよい。この頃の「暮しの手帖」の自社広告は魅力的だ。書名が明朝体で組まれているが、漢字より仮名のほうが太いのは何か意図があるのだろうか。
「暮しの手帖 索引 1号から100号まで」/1969年/68p/A5判/中綴じ
緑と黒の2色の表紙は、花森安治の描き文字。描き文字のベタを塗りつぶさないタッチは、1951年版と同じだがこちらは横組。絵はなし。本文の体裁は、51年と同じ。巻末の自社単行本の広告も前回と同じだが、内容の説明がついている。こちらの書名の明朝体は、漢字と仮名の太さが揃っている。
人形町ヴィジョンズ・ギャラリーで開かれる展覧会(丸山誠司さんと山下以登さんの6月の「蕪村と一茶」、11月は大高郁子さんと漆原冬児さんの「万太郎と龍之介」)のための取材で、錦糸町から両国へ歩いている途中にあった、小さな公園の中のトイレ。なんだかコルビュジエのサヴォア邸を思い出す。
十貫坂教会の説教の看板。「なぜ、うろたえる?」。これは、自民党現政権のトップについてのことだろうか。強気なふりをして虚勢を張るのは、実は自分のやっていることがすこしもうまくいかなくて、うろたえているからではないのか。日本の貧困率はデンマークの三倍だそうだ。
仕事場の近所にある、早稲田のブックカフェ「Cat’s Cradle」は3月から休んでいたが、いよいよ4月19日(火)に再開する。
今月のカレンダー。この犬も小さいです。陶器製。どこで見つけたかわすれました。男の子だけどエルザにそっくり。白黒の柄から短いしっぽ、垂れた耳まで。
すみません、またもや月刊ペースになりました。今月はもう一回やらなくては。
今日の一曲はこれ。
Boulevard Of Broken Dreams/Nat King Cole