TIME、M添、ユリイカ、文字塾、創元文庫

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「TIME」はアメリカの週刊誌。最新6月27日号の表紙。これはオールランドの犠牲者の名前。グラフィックなデザイン。「TIME」は表紙だけでなく、本文のデザインもしっかりしている。もちろん写真は素晴らしいし、インフォメーション・グラフィックもよい。タイポグラフィも水準が高い。日本の雑誌、週刊誌とはくらべものにならない。この表紙は強い。TIMEに限らない、The New York Times、the guardianを見ても、まず写真が、そしてタイポグラフィが優れている。グラフィックデザインが活かされている。平面のページで、動画に出来ないやりかたがあることがわかる。それが気持ちよい。

 

 

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東京都知事。I瀬とM添。著名なノンフィクション作家と東大出身の国際政治学者。だからといって聡明で人格が高潔だという保証はない。それにしても二人そろってみっともない。

 

M添は、オリンピックの予算を膨大にふくらませていたらしい。昨日のテレビ「噂の東京マガジン」がそれを伝えていた。M添なんかより、オリンピックに向けての建設バブルが大変なことになっている。20年までに東京に約20棟の超高層ビルを建てる計画があるというのを、少し前のNHKTVでやっていた。ここぞとばかり、東京に一極集中させてどうする気なのか。

 

2年前の都知事選で彼を押していた、時の首相から舛添の辞任について、直接コメントをもとめない日本のマスコミとはなんだろう。メディアが彼に何も言わせないのが不思議でならない。

 

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(伊野孝行君に、I瀬とM添の絵を描いてもらった。このブログのためのオリジナル)

 

〈一刻も早く辞めさせなければならない問題なら、なぜ週刊誌が伝える前に大きく報道できなかったんですか。都庁のなかには記者クラブがあって大手メディアが常駐しています。記者は会見にも出られるし、庁内を歩きまわって会いたい人に会え、資料も利用できる。情報にアクセスできるチャンスを最大限いかして取材ができるのです。それに、舛添さんは知事になる前は国会議員でした。知事にふさわしいのか、その時点から調べることもできたのに、ほとんどノーマークでした。こういう時だからこそ、舛添都政を冷静に点検し、辞職のメリット、デメリットを解説するようなメディアはないのでしょうか。〉〈メディアの役割が権力監視というなら、それを果たせなかったのです。反省すべきだと思います。落ち目になった人をたたくのが権力監視というなら、中央の元気な政権の監視なんかおぼつかないです。人々のメディアへの信頼がどんどん後退していくでしょう。〉(江川紹子/朝日新聞6月16日)

 

〈舛添要一東京都知事が辞任を表明したが、ネットでは同情論が多数出たほか、同氏に対してマスコミ、一般人が「いじめ」をし過ぎたといった論調になっている。いざ辞任したところで途端に「あれはやり過ぎだった」「集団リンチだ」という声が強くなるのだ。猪瀬直樹前都知事の辞任の際も同様の状況になった。(略)猪瀬氏は舛添氏辞任を受け、自身が「政治とカネ」の問題で辞任した時の状況をブログで説明した。(略)この猪瀬氏のブログは大きな反響を呼び、猪瀬氏に対する同情論・復活待望論も出ているし、そもそも同氏は辞める必要さえなかったという論調にもなった。(略)この「○○まで追い込む」期間が終わった後、表舞台から去った人に対する「本当は優秀だった××氏」と言い出す流れはもはやネットの伝統芸でもある。〉(中川淳一郎/「週刊 ネットで何が」/東京新聞6月18日)

 

ネットが彼を辞めさせたわけじゃないんだけど。

 

フジロック・フェスティバルに奥田愛基や津田大介が出演することに、「フジロックに政治を持ち込むな」とネットで騒いでいる連中がいるらしい。今朝のNHKのラジオ「すっぴん」で中原昌也の話。彼は「そういう奴らは童謡でも聴いていればよい」と笑っていた。

 

「ユリイカ」6月号は日本語ラップの特集。いとうせいこうのインタビュー。

 

〈今の若い子たちがラップが好きなのは、ひとつに、彼等が疎外されてるからだよね。あるいは、貧困が身近な問題だから。そういう意味では、いつの間にか現実が追いついちゃったというか、「ラップをどう取り入れようか」なんて言ってる間に、バックグラウンドが接近して、日本でもラップが自然なものになってしまった。そして、そこで暮らす若者にとってリアルに感じるのは、ポップスの夢みたいな言葉ではなくて、「売人になっちまった」みたいな言葉なわけじゃん。ラップが決してフィクションじゃないんだよね。〉

 

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「ユリイカ」を毎月買っているのは、羽良多平吉さんの表紙と池内紀さんの連載のため。以前は飯島洋一さんの連載を楽しみにしていた。羽良多さんの「ユリイカ」のデザインはずっとこのブログで書くつもりにしているが、まだ出来ていない。

 

池内さんの連載は回顧録。「記憶の海辺―一つの同時代史」。6月号では、ギュンター・グラスに1996年(グラスがノーベル文学賞を受ける3年前)にインタビューしたときの話。「G・グラス大いに語る あるいは沈黙の罪について」

 

〈G・グラスは一九二七年生まれであって、ヒトラーが政権を取ったときは、六歳だった。十歳でナチス少年団に入団。当時、すでに法律化されており、ドイツ少年の義務だった。一五歳で最年少の兵士として招集を受け、東部戦線で負傷して病院。一九四五年五月、ヒトラー自殺、ドイツ降伏ののち、グラス幼年兵はバイエルンのアメリカ軍捕虜収容所に収監された。一七歳だった。私のしるかぎり、歴史の被害者でこそあれ、ナチスとのかかわりでイヤがらせを受けるような筋合いは何もないのである。〉
〈「私は統一国家を拒否します」
それが実現しなければ、どんなにホッとするだろうという。「祖国を忘れたやから」となじられると、「一人の「祖国を忘れたやから」の短い講演」と題する長い講演をした。「東ドイツを併合するかたちの統一は、取り返しのつかぬ失敗に終わるだろう」と警告した。統一国家よりも、二つのドイツの国家連合、あるいは経済的に緊密で、政治的、文化的には、ゆるやかな同盟という可能性がさぐれないか。そこに「祖国」を見るべきではあるまいか。
「ドイツが各州のコントロール、つまりは連邦制を欠いた一つの統一国家であったのは、いつもただ強制的にそうさせられただけなのです。」〉
〈統一後のドイツについては、グラスの恐れたとおりになった。旧東ドイツへの猛烈な経済進出。西側資本による開発という名の大々的な破壊。「はてしなき荒野」を背景にして、ドイツはいずれ、その勢いのおもむくところ、近隣諸国を圧迫するだろう。
予測が性急すぎると思ったのか、グラスはつづいて、たえず異議を申し立てるのが作家のつとめだとくり返した。ペンの人間であって、ひとりでも告発ができるからだ。〉
〈二〇〇六年のグラスの自伝『玉ねぎの皮をむきながら』は、国を二分する騒ぎになった。第二次大戦末期にグラス幼年兵が武装親衛隊に所属していたことを、初めて公にしたからである。たえず社会に発言してきた作家が、戦後ずっと、この一点だけは沈黙していた。
その後の対処の仕方が、いかにもしたたかなグラスらしかった。五〇〇ページにちかい自伝のうちの一ページの一カ所をとりあげて論難する人に、グラスはくり返し自伝を終わりまで読んでほいしいと注文した。読者は一五歳で招集を受けた少年の行動をたどっていける。愛国映画を見るために、列車を乗り継いで首都にやったくる。ベルリンはすでに瓦礫の山だったが、映画のなかでは、果敢に戦って勝利をかちとる。一心不乱に画面を見つめている幼年兵の後ろ姿が見える。〉
〈ドイツには「シュピーゲル」「ツァイト」など、良質の週刊誌や新聞がある。それぞれが特集を組み、「ギュンター・グラスの戦後」を検証した。武装親衛隊はSSSの名で恐れられた親衛隊と、どこがちがうか、歴史家が解説した。戦争の進展とともに慌ただしくつくられた組織であって、「一七歳以上」をかき集め、絶望的な戦線に投入した。
さらにグラス自身がテレビや公開討論に出て、公開のかたちで、若手の批評家や論客と対話討論をした。いずれもそれは翌日、新聞紙上にくわしく報告された。マスメディアはセンセーショナルに騒ぎ立て、いっさいを型にあてはめて葬りたがる。グラスはそんな特性を逆手にとって、「過去」の一件が現代に、いかなる波紋を投げかけるか、当のメディアの場で公開した。ひろく議論して歴史を正確に見返すこと。言葉は売り逃げの商品ではなく、真実に立ちもどるための道具であることを、当のメディアに確認させる。それこそ作者が沈黙の罪の償いとみなしたふしがあった。空騒ぎは急速に終息した。〉

 

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文字塾の第四期展ですごいものを見た。読めない文字。最初はくだらないと思ったが、考えてみると書体デザインの前衛になっているのではないか。こんなものを「前衛」だといって持ち上げるとお叱りをうけるかもしれない。意図せずに作者が苦闘した先で、とんでもないものが出来上がった。文字塾を指導する鳥海先生が途中で止めなかったのがすごい。というか、気が知れぬ。この読めない書体を評価するつもりはない。読めない文字を作ったことにただただ感嘆するだけ。こんなことは誰も出来なかったし、やろうともしなかった。少しでも書体デザインを知っている者ならやるわけはない。本人にも常識を破ろうという勇気や信念などなかっただろう。第一、現代では変体仮名自体はほとんどのひとが読めないし使わない。それをモダンな書体(スーボ風)に置き換えようというのだから、無謀な行為でしかない。初手から可読性は無視されている。この書体は現代のあらゆるタイプデザインをあざ笑う。鋭い批評行為である。前衛とはそういうものだ。無知と、あらぬ動機がそろうとこんなものが生まれる。誰も読めない文字を生み出したことが素晴らしい。刺激的だ。それが新しい。予定調和で、思想も技術も教養もない愚かな書体で自己主張をするより、こんな過激なものが偶然にせよ生まれたことを喜びたい。もっとも馬鹿げたものが世界を変える。赤塚不二夫の精神である。みんなもっとバカになれ。

 

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「文字塾第四期展」の小冊子に小宮山博史さんが各塾生にあてた感想の手紙が所収されている。この池田平多デザインの「ヘータ」という書体について、興味深いことが書かれている。少し長くなるが引用する。

 

〈スーボのデザインを意識されたデフォルメで、48字を作るのはたいへんだったろうなというのが最初の感想です。万葉仮名を多くの人に親しんでもらい、今では知られることのなくなったけれど多くの人に知ってもらいたいという設計意図はわかります。(略)現在万葉仮名を読める人はほとんどいないと言ってもよいかもしれませんね。古典文字を研究する人やそれを目指す学生だけという使用頻度でしょうか。現代の日本文の中ではほとんど使われない文字に興味を持ったのは書体を作る、あるいは考えるデザイナーとして理解できます。〉

 

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〈「ヘータ」の全文字見本の中で、わたくしがかろうじて読めたのは「支・久・古・怒・子・乃・風・遍・保・万・无」の11字でした。それもかなり考えた結果です。POPであろうとディスプレイタイプ(装飾書体)であろうと一回見たときすぐに認識できることが最小限の約束と思います。読者に苦労を強いるのは書体としてあってはならないことです。書体は誰のためにあるのかを考えればすぐにわかることで、ここで書体デザイナーは苦労しています。そして読めてもこの形で良いのかというのがすぐに迫ってきます。池田さんの試みは、ともかく極端な造形までいって、そこから読めるところへ引き戻す作業の途中という位置づけととらえました。〉

 

〈池田さんも書いておられる「印刷用書体の垂直水平化、正方形という画一化、没個性化」が印刷用の凡用書体には必要ですが、これは金属活字や写植というシステムのもので、デジタルの世界ではもう一度立ちどまって考えてみる必要があるのではないかと思います。
日本の近代的な仮名書体は西洋化を目ざす築地活版を源流とし、そこに日本の伝統文化を加味した秀英舎の書体の二本柱をもとにしています。その時代時代の要請や彫師・印刷技術者の思索・模索を加え、改刻をくりかえして今に至っています。ここに至るまで先人達は自らが獲得した技術・造形力をいろいろな方法で若い職人・技術者・書体デザイナーに伝えています。今危惧することはその伝承が消えかかっているのではないかということです。書体デザインのためのツールが発達し、誰もが書体作りに参加できます。それはかつての偉業という時間を考えればすばらしいことには違いありません。しかし何かを失ってはいないだろうか。(略)文字書体は何も言うことのできない読者のためにあるのです。〉

 

中野富士見町にあった、読めない文字。看板の文字をホワイトで消したのだろう。ここまできても読めないこともない。

 

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『冬三日月』久保田万太郎、創元文庫。美しい。たまたま文庫とは知らず注文をした。山本健吉が「久保田は五月がきらい」と、本人からきいたのをどこかに書いていたという、新聞のコラムにつられて探す。山本が解説を書いているので、この昭和27年刊の本を見つけた。装丁は誰だろうか。

 

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天地142ミリ×左右104ミリ/昭和27年3月30日初版発行(この本は10月30日の再版)

 

戦後の岩波文庫は天地148ミリ×左右104ミリ。戦前の岩波文庫天地157ミリ×左右105ミリ。
新潮文庫天地150ミリ×左右105ミリ。グレーとグリーに2色の模様。上と下とで幅がちがう。文字のたたずまいもふくめて気持ちのいいデザインだ。帯の色が洒落ている。この文庫の他も見てみたくなる。上下の模様は、全部同じ色なのだろうか。文庫に派手なジャケットをつけはじめたのは、いつごろからだろう。もっとシンプルなデザインでいい。ジャケットなしの「過激」なものを誰かつくらないかな。岩波文庫(戦前と戦後)や新潮文庫と比べても小さい。本文書体は初期の岩田明朝体(目次、俳句、解説)。 俳句はすべて天地ぞろえ。索引のノンブルの付け方が面白い。本文は全体に刷りはよくない。

 

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パピリオのFace Powder(粉白粉)のケース。京都のUmweltの魚住さんからいただいたもの。佐野繁次郎のデザインであろう。すべて描き文字。上蓋の直径は72ミリ、底の直径は74ミリ、高さ24ミリ。この赤い丸い容器。文字。

 

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久しぶりに高円寺の「えほんやるすばんばんするかいしゃ」に。Tomi Ungererの“snail, where are you?”(カタツムリ、どこに行ったの?)HARPER & BROTHERS, PUBLISHERS刊/1962年/ハードカバー/ジャケット装/天地222ミリ×182ミリ(表紙のサイズ)/本文は32頁(扉/奥付/献辞/著者の他の本の紹介/本文扉/白/本文25頁/白)前後に本文共紙の遊び紙と見返し

 

黒い表紙にホルンを吹く楽隊のおじさん。最後の見開きまで、言葉がない。最後でやっと文字があらわれる。読者はそこまでに、頁の絵の中に隠れているカタツムリを探す。

 

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十貫坂教会の看板三種

 

「生まれる前から選ばれて」6月5日
国会には世襲議員が多くなっているらしいが、こんなこと思ってないだろうね。自民党の首相経験者や現首相などの傲慢は、こういう気持ちからでているのではないか。

 

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「誰でもはじめは無信仰」6月12日
そうなんですね。生まれる前から選ばれているわけじゃないのね。

 

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「走ってきたことは無駄にならない」6月19日
〈駄〉の旁の〈太〉に点がなく〈大〉になっている。点は無駄? 悩める人には励ましになる言葉。そう思って今日を生きよう。

 

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今日から人形町ヴィジョンズ・ギャラリーで〈「蕪村と一茶」展 丸山誠司+山下以登〉が始まる。昨日の搬入後の展示を少し紹介する。

 

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6月26日(日)のトークショー〈「蕪村と一茶」ゲスト:関川夏央+高山れおな〉においで下さい。申し込みはこのアドレスで。

http://www.visions.jp/ex/3906.html

 

今年も小冊子を作りました。テーマは旅日記です。頒価300円。

 

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今日の一曲はこれ。

Road To No Regret/Scritti Politti