トランプ、奥の細道2、芝山幹郎、入江敦彦、鳥海修、萬玉邦夫、石川九楊

テレビを見ていると、ときどきいい言葉に出会うことがある。
「時が経っても変わらずにいたら、それは新しいものになると信じているんだ」〈パオロの食堂〉店主(世界入りにくい居酒屋・ボローニャ篇)

 

〈教会〉
久しぶりに十貫坂教会。「生きた石として用いられる」、強い言葉だ。生きた石になれるだろうか。

 

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〈TIMEの表紙〉
TIMEの表紙。奇妙な絵だ。何かと思ったら、以前の号の表紙のつづきの絵。トランプが溶けてしまっている。しかし、トランプが大統領に当選したらどうなるんだろうか。ポール・クルーグマンがニューヨーク・タイムズの連載コラムで、彼が大統領になると地球温暖化対策が滞ってしまうと心配していた。

 

10月24日号は、Total Meltdown. 完全溶融(あるいは、全き崩壊)とは何だろう?

 

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記事のタイトルは“TRUMP GOES TO WAR(トランプ戦争開始)”

 

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表紙のクレジットを見てわかる。8月22日号のつづき。溶け出したトランプ。こちらは Meltdown. 溶融(崩壊) これはだれが見てもトランプ。どちらも本文の記事と連動している。

 

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こちらの記事のタイトルは“RECKONING(予測)”

 

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〈奥の細道 その2〉
前回、塩釜と松島の翌9月25日の朝、奥の細道巡りのメンバーの、編集者さん、私のアシスタントの赤波江春奈さん、イラストレーター丸山誠司君と合流してレンタカーで中尊寺に向かう。

 

中尊寺内の芭蕉像と芭蕉の句碑

 

IMG_2448_1_句碑

 

IMG_2449_2_句碑 IMG_2453_3_芭蕉

 

中尊寺境内の地図

 

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〈七宝散りうせて、珠の扉風邪にやぶれ、金の柱霜雪に朽て、既頽廃空虚の叢と成るべきを四面新たに囲みて、甍を覆て風雨を凌。暫時千歳の記念とはなれり。
五月雨の降りのこしてや光堂〉

 

中尊寺内にあったひやし飲み物の看板

 

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義経堂からの北上川と、9月の末なのに黄色く実った稲田。取り入れがはじまっていた。

 

IMG_2467_6_北上川

 

〈先、高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。〉〈国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷きて、時のうつるまで泪を落とし侍りぬ。
夏草や兵どもが夢の跡〉

 

平泉のあとは、山寺の立石寺に向う。その入り口の恐怖の1000段階段。

 

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立石寺。このお寺は山寺という通称。ここの町の地名自体が山寺。JRの駅も山寺。ややこしい。

 

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このお寺にはこけし塚がある。

 

IMG_2484_10_こけし塚

 

立石寺にある芭蕉と曽良の像

 

IMG_2485_11_芭蕉と曾良

 

〈山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊清閑の地也。〉〈山上の堂にのぼる。岩に巌を重て山とし、松柏年旧、土石老いて苔滑に、岩上の院々扉を閉て、ものの音きこえず。岸をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂莫として心すみ行のみおぼゆ。
閑さや岩にしみ入蝉の声〉

 

ゲームはいけません。

 

IMG_2490_12_ゲーム

 

石段の効能

 

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せみ塚。奥の院まであと580余段。丁度真ん中あたり。奥の院迄は約30分。

 

IMG_2495_14_せみ塚

 

こんなに高い場所の五大堂。ここにカマキリがいた。このひと、撮影しようとするとカメラ目線になるのである。

 

IMG_2506_15_五大堂 IMG_2508_16_カマキリ_

 

千の階段沿いに仏像がならんでいる。仏様に光があたる。

 

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なんと「本の雑誌」も立石寺をのぼっている。11月号「おじさん三人組、山形に行く!」より。
〈八月二十八日日曜日、宮里潤、杉江由次、浜本茂(若い順)の本誌おじさん三人組は山形に向かった。山形には山形小説家(ライター)講座という二十年近い歴史を誇る作家養成講座があり、講師兼世話役を本誌でもおなじみ評論家の池上冬樹氏が務めているのである。〉

 

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立石寺への入り口近くにある、お菓子屋さん商正堂の看板と、「もろこし」というお菓子。このお菓子のデザインに魅かれておみやげに。

 

IMG_2516_19_商正堂

 

IMG_2761_20_もろこし

 

奥の細道、残り二日は次回にまた。

 

〈芝山幹郎、入江敦彦〉
読みたい連載があるので雑誌を買う。「暮しの手帖」で芝山幹郎さんの「シネマ・シバヤマ」。この大判の本で見開き2頁。読みごたえがあって嬉しい。以前にも書いたが、「週刊文春」はまず「シネマ・チャート」の芝山さんの星とコメントを見る。「暮しの手帖」84号では、リチャード・リンクレイターの『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』をとりあげている。書き出しは、若い頃に下北沢の近所に住んでいた吉増剛造との思い出。
〈こんなことを思い出したのは、ノスタルジアのせいだけではないと思う。あのときの空間や声が、繰り返し見る夢のように生き残っているのだ。もちろん私が、無意識のうちに記憶を凍結保存させていた可能性はある。が、前後や左右の脈絡とは無関係に、その時間は離れ小島のように独立している。離れ小島は五十年近く残った。たぶん、この先も水没しない。〉

 

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暮しの手帖_芝山さん20161031

 

次は「本の雑誌」の入江敦彦。「読む京都」。この連載は京都について書かれた本の批評。毎度「いけず」な調子で、実は気持ちのこもった、京都についての本の読み方。11月号の「“よそさん”の書く玉虫色の京都」はこう始まる。
〈人は見たいものしか見ない。どれだけの実証と経験談、プラグマティズムを以て説伏にかかろうとダメ。それは偏見とか視野狭窄とかそういう知性の問題ではなく、おそらく本能的に結果ありきで生きている人が社会の半数を占めているって、ただそれだけのことだと思う。〉
〈そもそもわたしが京都についてのエッセイを書こうと考えるようになったのも固まりかけていた陳腐なイメージをぐちゃぐちゃにしたいがためであった。〉

 

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本の雑誌_入江_20161031

 

『文字を作る仕事』鳥海修/晶文社/四六判/上製/2016年刊
本文:13.5Q/40字×16行/行送り24(二分四分より少し広い)/漢字=游明朝体R 仮名=文麗仮名/天27ミリアキ/地24ミリアキ(不思議な天地のマージンの割合)/小口から17ミリ、ノドから17.625ミリ
行送りを広くとってノドと小口のアキをつめている。四六判で16行ならたっぷり余裕がある。天地をあけているのだから、もう少し左右のマージンを確保する考えはないのか。ノンブルと柱の位置は金属活字時代の常套で本文から一字アキ。活版ではないのだから、違うアイデアを見つけてもいい。最高位のタイポグラファーの本だから、カバーだけじゃなく本文デザインも何かしっかりしたものが見たい。

 

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日本の文字デザインの第一人者の最初の本。鳥海修さんは友人である。まずは祝福を。私が使う和文書体は、ほとんど彼の字游工房のものである。私のデザインは彼と彼の会社が作るフォントに支えられている。私は彼の仕事を信頼している。私のデザインにはそれほどたくさんの書体は必要がない。先日、書家の石川九楊さんにお会いしたら「本文の明朝体はたくさんいらない、三つぐらいでよい」と過激なことを言われる。
この本では、鳥海さんの少年時代から、写研で書体作りを鍛えられ、故鈴木勉さんとのフォント制作会社字游工房にいたるまでのことが書かれている。彼の家族もふくめて、それぞれの時期に出会ったひととの交流が語られる。今やこのひとが和文活字書体デザインの頂点にあるだけに、もっと出会った人々との細かな感情の交感、書体製作者の表現における葛藤、技術の奥を知りたくなる。彼のデザインの機微をよりくわしく聞かせてほしい。それは贅沢なことだろうか。鈴木勉さんとのエピソードに、当時の二人の体温が感じられる。ここ、もっと読ませてよ。彼がつくる文字デザインのように明るく屈託のない文章だが、優れたタイポグラファーの本としてはすこし物足りない。日本語のタイポグラフィを考えるわれわれにとっては、惜しい本かもしれない。

 

この本で鳥海さんは「水のような、空気のような書体」という言葉を何度も書いている。彼に最初に会ったときから、これを聞かされている。鳥海修のテーマなのである。
〈その文字が人の手によって作られていることを知ったとき、文字たちの控えめな役割にたまらない愛おしさを覚えた。だれによって作られたとか、作った人の個性とかは無縁で、常にことばの僕(しもべ)となって、ことばのうしろに鎮座している。
この本文書体の理想は「水のような、空気のような」と例えられる。水や空気は、人間がいきていくうえでもっとも大切なものであるはずなのに、人はそれを意識することなく、ごくふつうに呼吸をし、水を飲む。それと同じように「水のような、空気のような」書体とは誰もが当たり前に、安心して読めるふつうの書体のことを指すのだと思う。〉

 

先日10月15日の「タイポグラフィセミナー 第5シリーズ/小宮山博史との対話」の2回目で、ゲストの正木香子さんがこんなことを言った。「良い書体の定義として、水のような空気のような書体だとよく言われるけど、私にはよくわからない」
驚異の「全身書体感保持者」である彼女の疑問である。書体の個性について、もっと議論しなければならない。正木さんのような感覚が、これから書体を考えるためには必要である。今後また、彼女の書体についての話を聴く機会がほしい。

 

この『文字を作る仕事』に、萬玉邦夫のことが書かれている。〈グラフィックデザイナーの平野甲賀さんがつぶやいた。「オレが勝てない装丁家が一人だけいる。それが萬玉だよ」
手元に一九八八年五月に文春秋から出版された藤沢周平の『蝉しぐれ』がある。四六判で白地に藍のの筆文字で題名、著者名、出版社名が書かれている。写真やイラストはなく、文字だけの世界だ。その筆文字は太めの行書で、「しぐれ」は自然に連綿になった感じで気取った風のない普段着の文字だ。レイアウトは題名を斜めに、画面の三分の二位を占めるように大きく配置し、なかなか迫力がある。〉

 

〈一茶〉

 

『一茶』藤沢周平/文藝春秋/1978年刊/四六判上製/角背/函入り/表紙布張り/カバー無し
今年の6月に開催した人形町ヴィジョンズでの展覧会『蕪村と一茶/丸山誠司・山下以登』で、一茶を調べているとき、この本の文庫版を読めなかった。展示が終わってから、古書店で単行本を見つけて装丁の潔い美しさに驚く。すぐに読了。面白かった。田辺聖子さんの『ひねくれ一茶』と同じ一茶である。もっと違う一茶かと思ったが、二人の小説は同じではないのに、藤沢周平の一茶もまぎれもないあの一茶だった。二冊読むことで一茶の像が立体的になる。

 

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函入りで手描きの書。クリーム色の紙にスミ1色。表紙は紺の布張りに、背のみタイトルで白の箔押し。花布とスピンが赤。ベージュの見返しに、化粧扉は函と同じクリーム色にスミ1色の書のタイトル。題字は谷澤美智子。一茶という文字は函、扉、表紙とも流用せずにそれぞれ書かれている。函の背と表紙の背は同じ。著者名と社名はどれも流用。この一茶の文字がよい。函の表1の横のものは、もともと横で書かれたのだろうか。〈一〉と〈茶〉の草冠の一画目の横が揃っている。このバランスが面白い。
装丁のクレジットはないが、まぎれもない萬玉邦夫。帯は誰だろうか。本人か。表1にタイトルと著者名がある。函には手描きの書によるものだけだからか。表4には文言がない。思い切ったものだ。本文は、時代小説とも思えない、ノンブルが上。本文は9ポ、43字詰め18行、行送り14.5ポ(?)、天25ミリ、地27ミリアキ、これぐらいの差だと版面がほぼ天地中央に見える。左右はノドが21ミリ、小口が18ミリでノドを広くとってある。頁全体はゆったりと落ち着いた印象、行間は十分で読みやすく感じる。印刷は理想社印刷。本文書体はここの明朝体だろう。

 

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〈タイポグラフィセミナー〉
次のセミナーゲストは、石川九楊さんである。明朝体についての議論が深まることを期待したい。
告知のリード。〈書作・書史・書論の分野で大きな成果をあげている石川九楊さんをお招きします。普遍性を重視する印刷・表示用の汎用書体である明朝体も、その造形の基礎には「書」が大きく影響していることはいうまでもありません。書家の立場で現在の明朝体を見たとき、なにが問題であり、その原因は何かをお話ししていただこうと思います。それにたいして書体制作者はどう考え、あるいはどう実作するのか。〉

 

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今日の一曲。元はポール・サイモンの曲(There Goes Rhymin’ Simon/邦題「ひとりごと」)。昨年11月に亡くなったアラン・トゥ―サンの、今年出たラスト・アルバムから。

 

American Tune/Alan Tousant