谷口ジロー
〈追悼 谷口ジロー〉
谷口ジローさんが2月11日に亡くなった。このブログの原稿をいろいろ用意していたけれど、変更して私がてがけた谷口さんの本のブックデザインを紹介する。
2月17日から20日までソウルにいた。韓国出版学会主催の「韓中日タイポグラフィセミナー」に招かれて研究者にまじってブックデザインの話。セミナーは宿泊したホテルの最上階の会議室。同時通訳で、昼食をはさみ19日の午前9時半から18時まで。最終日の20日には主催者の案内を辞退し自由時間をもらい、ソウルの街を朝の10時から空港お迎えの車が来る午後に2時までぶらぶら。大型書店KYOBO(教保文庫)に行くと、谷口さんの『孤独のグルメ』の韓国版があった。
谷口さんの本を最初にデザインしたのは『「坊っちゃん」の時代』。関川夏央さんの原作で谷口ジローさんの画。ジャケットでは、作画の区別をしていない。1987年刊/A5判/双葉社
第二部『秋の舞姫』1988年/第三部『かの蒼空に』1992年/第四部『明治流星雨』1995年/第五部『不機嫌亭漱石』1997年
「『坊っちゃん』の時代」全五巻は10年がかりの作品である。
ジャケット、表紙、帯はタテ目の紙を無理矢理使っている。ジャケットと表紙は〈こざと・秋色〉、見返しは、第一部と二部は〈新利休・むぎ〉第三部は〈新利休・びーどろ〉第四部は〈新利休・べんがら〉第五部は〈新利休・よぎり〉。帯と別丁扉は〈こざと・冬色〉写植の文字を凸版におこして、BLのみで活版刷り(三刷あたりまでだろう。あとはオフセット)。
ジャケットはCMYKの4色ではなく、絵をBLと特色グレーでダブルトーン、タイトル部分の丸やひし形、三角がダブルトーンに使ったグレー、人物の後ろのパターンが特色2色。各巻で色を変えている。パターンの中の線は金。メインタイトルの文字は、矢島周一の『図案文字大観』の大正15年の初版から文字をひろってきてコピーの荒れを利用。文字の抜けた小さな穴に特色グレーを入れている。
第三部からの帯のゴシック仮名書体は、府川充男さんから提供された金属活字を写植の簡易文字盤化した〈凸版30ポイントゴシック〉。第一部と第二部は、漢字YSEG-L、仮名K-MYEG。
谷口さんには、普段のペン描きではなく墨と筆のタッチにしてほしいとお願いした。谷口さんは自信がないと言いつつ、何枚も漱石の絵を描いてきてくれた。背の絵柄は本文から抜き出した。
双葉文庫版は2002年から2003年にかけて。明治の風景を淡彩で自由に描いていただいた。タイトルの位置を各巻で変えた。ラベルの色も変えている。
〈『「坊っちゃん」の時代』をはじめて読んだ時、わたしはそこに「文学」が生き残っていることに驚いた。そして、見てはならないものを見たような気がした。わたしたちは、それをすでに亡きものとして扱ってきたからである。
『「坊っちゃん」の時代』は、これに続く四巻と同様、明治の作家をその登場人物としている。それは、夏目漱石、森鷗外、石川啄木、二葉亭四迷、島崎藤村、といった文学史の巨星たちだ。わたしは何度も、彼らの作品を読み、彼らについて書き、彼らについて考えた。白状しよう。私の中で、彼らはすでに用済みになっていた。彼らは、歴史の中の人間であり、彼らが生きていた時代は遠い過去であった。しかし、このマンガの中で彼らは確かに「生きて」いたのである。(高橋源一郎/文庫・第一部解説より)〉
〈だから、読者であるわたしたちは、『坊っちゃん』の、『舞姫』の、背景や歴史をふくんだただの解説を読んでいるのではないのだ。こんな世界、人間で、あり得た(あった、では、むろんない。このシリーズは実在の者を描こうとしたところにその素晴らしさがあるのではなく、実在の者を解釈――あり得るし、またあり得なくとももしかしたらそうあり得たかもしれないと騙すくらいに説得力のあるーーしたところにその膂力を感じさせるものなのだから、当然「あった」ではなく「あり得た」ことが肝心なのである)ところの世界を読んでいるのだ。それが何よりも読者をわくわくさせる。楽しませる。そして、さまざまに考えさせるのである。(川上弘美/文庫・第二部解説より)〉
〈そのような、明るく、つましく、貧しくとも意気軒昂な時代を、けっして戦後の、あるいはそれに続く近代以後(ポストモダン)の、歴史観・価値観になづまない、健全で、堅固で、常識的な観点を保持した「平屋建ての思想」によって描き切ったところに、この連作の思想史的意義がある。「平屋建ての思想」の強みは、戦前にも、大正期にも、明治期にもあった思想に連なる常識人の思想だということだ。たぶん関川は、それを一人で作っているのではない。それなら、他にも彼の年齢の言論人のなかに彼に類した明治つながりの常識人がもう少しいてよいはずだ。わたしの見立てをいえば、そこの彼の相棒谷口の見えざる薫陶がある。あくまで明朗に。あくまで堅固に。(加藤典洋/文庫・第四部解説より)〉
〈私にとって、明治とはどういう印象の時代か。
この作品を書いた関川夏央・谷口ジロー両氏は私よりも一世代若い人たちである。その人たちと私の世代の違いといえば、戦争時代の直接の記憶があるかないかであろう。わずかの違いとはいえ、明治への視線にその違いが出ているような気がしないでもない。(略)
ある日、村人が道を歩いていると、樹海から這い出てきた人がいる。わかってはいるが、つい尋ねてしまった。「どうしたんですか」。「高い木の枝で首をくくったら、枝が折れて落っこちた」。そこで村人は思わず「それで、大丈夫ですか」と訊いてしまった。返事は、「ああビックリした。死ぬかと思った」。
日本人とはこれであろう。思いつめて、首までくくる。しかし枝が折れてみると、ああビックリした、死ぬかと思った、というのである。
明治はこの種の軽さがなかった時代である。私は理解している。この種のある軽さは、いまや日本中に蔓延している。銀行の頭取たちは、自分の退職金が出ないなんて、そんな「とんでもないこと」と文句をいう。他方、経済の専門家たちは「失われた十年」と平然という。俺のことだ、俺のことではない、いずれにしても同じ軽さであろう。関川・谷口両氏が『「坊っちゃん」の時代』を描く背景は、だから私にはわかる。わかる気がする。漱石はその軽さがないから、胃潰瘍になった。(養老孟司/文庫・第五部解説より)〉
新装版は2014年。タイトルレタリングを岡澤慶秀さんにお願いした。ジャケットの絵は、あらためてカラーで各巻の主人公のポートレートを谷口さんが描き下ろし。扉は、オリジナルの絵、表紙裏は文庫版に描いてもらったジャケットの絵と、そのときに使っていない未発表の絵。
2月16日読売新聞朝刊の関川夏央さんの追悼文。
谷口さんから『ゴッド・ファーザー』のボックスセットをお借りしたままである。谷口さんが好きな映画だと言っていた。もう返せない。奥様にご返却してもいいけれど、形見に預かっておくつもり。
今日の一曲は、だから
Love Theme from Godfather/Nino Lota