新型コロナウィルス、山下達郎、能町みね子、花
〈自然〉
新型コロナウィルスはすごい奴。まるで人間を試しているように思える。自然には人間のコントロールをこえたものがあることを、まざまざと教えてくれる。うかうかしていてはいけない。
〈山下達郎〉
日曜日のTOKYO FMの「サンデーソングブック」で山下達郎のメッセージ
「3月8日でございますが、コロナウィルス、全国騒然としております。もう諸説紛々、てんでんばらばらに、おのおのが言いたいことをですね、メディア、ネットでですね、言いまくっておる。なにがホントでなにがウソなのか全然わからないという。先週、「ガールポップ」をやりましたけれども、先週のこの番組のときにいただいたハガキと、今週、今日までの一週間でいただいたハガキと、いやもう内容ががらっとかわりました。みなさん、コロナのものに対する、戸惑いと不安と色々なことが書かれております。もちろんいつもいただく超常連の方々ががらっと文面を変えましてですね、こういうことが何度かありましたけど、一番記憶にのこっておりますのは、3.11の東日本大震災のときにやはり超常連の方々が、いつもは音楽のことを語っていらっしゃる方が、そうした自分の心情の吐露とかそいうことをですね、書いて送ってくださいました。あれとちょっと似ておりますけれども、でも今日、私のこの番組に送られてきたお便りは、みなさんこう冷静で穏やかです。
そういう意味では、もの言わぬ多くの良心というのは常にはちゃんと存在しているのだなという、そういう感じがいたします。早くこの事態を克服できるようにみんなで助け合っていこうという、そういう意志をお持ちの方ばかりです。ちゃんと自分の考えがおありです。とりわけ医療現場のみなさんからお便りいただいておりますけれども、本当に大変だと思いますけれども、この国の健康のためになにとぞよろしくお願い申し上げます。医療の最前線の方々もまたみなさん冷静に粛々と仕事をこなしていらっしゃいます。そういう意味では、ヒステリックな政治屋とか自称知識人みたいなひとはひとりもおりません。あくまで冷静にそれぞれの出来ることをいたしましょう。」
〈お説教〉
久しぶりにご近所の教会のお説教の看板。しかし、この時期にこれはどういうことだろう
〈能町みね子〉
能町みね子の『結婚の奴』を読んだ。図書館で予約していてたのが、やっと届いた。このところ本屋さんではなく図書館で借りるのは、ふところの事情もあるが、これ以上本を増やさないため(蔵書は遅々処分中)でもある。ブックデザイナーの端くれでありながら、こんなことでは著者の方、版元の方には申し訳ない。『結婚の奴』には次の予約がついている。人気だな。
『結婚の奴』四六判/並製/平凡社/2019年刊
「週刊文春」で毎号読むのは、能町の「言葉尻とらえ隊」、町山智浩の「言霊USA」、「私の読書日誌」の鹿島茂さんと酒井順子さん、「Cinema Chart」の芝山幹郎さんの短評と星。
だいたい、「言葉尻とらえ隊」は、この連載の筆者が描く挿絵になじめないくてずっと無視してた。ある日、伊野孝行くんが彼女の相撲評をほめていたので読みはじめた。
能町は書き出しがよい。そういう文章は、まずはずさない。彼女は無駄なくストレートに本題へ導く。
〈自民党には、SNSで「人間ゆるキャラ」を務める議員が少なくとも2人います。〉(1月23日号)
「人間ゆるキャラ」ってなんだ? SNSを見ない私がろくでもない情報を知る連載である。
〈私は生き様をさらけ出した女の人に惹かれるので、ワイドショーが喜ぶ芸能人はおおむね好きです。インチキ臭くても、彼女らに眉をひそめる人たちよりは彼女らのほうが好き。〉(1月30日号)
おー、こんなふうに言われると、ワイドショーなんぞ見ないがこの「悪趣味」を聞きたくなる。
〈流れてきた小さなニュースにツッコミどころが多すぎて困った。「博多駅前で21日、性犯罪防止キャンペーンが開かれました。若い女性に訴えるためイケメン広報大使が登場しました」ですって。
福岡県警の理屈では、若い女性は自分が性犯罪に遭うという意識が低い→イケメンを起用して啓発→性犯罪撲滅! ということのようです。
もちろん一般論として自衛は大事です。でも、加害者側に言及せず被害者を啓発する点、若い女にはイケメンを使っとけという安易さ。いやぁひどい。そしてこれを機に県警の公式サイトを見てみたらもう悲鳴ですよ。〉(2月6日号)
正しい。「悲鳴ですよ」のひとことに無駄がない。
〈「募ってはいるが募集はしていない」というフレーズがトレンドワードのようになってしまいました。国会答弁で、桜を見る会の招待客について安倍晋三がしどろもどろで説明した言葉です。
募ると募集するの意味が違うかどうかなんて、本来は些細な話です。でも、今まで疑惑をごまかし続けてきたせいでこんな下らない話になっているのだ。桜を見る会の客の一部が招待ではなく募集されて(=募られて)来ているのはどう見ても明らかだし、彼は「云々」も読めないし、「募る」の意味もマジで知らなかった可能性があるし、本当に呆れる。こんな人が首相だなんて恥ずかしい。テレビで目にするたびに顔も声も嫌い!
と、私は思っている。正直、大嫌いだから馬鹿にしてやりたい、とも思う。もはや今の政権の在り方全体に漠然と強い嫌悪感がある。〉(2月13日号)
この正義感が好き。彼女は信用できる。
不思議な挿絵がついている。毎日新聞写真部のツイッター(新聞社の写真部のSNSがあるんですね)を見てみる。
それにしても、安倍の会見の言葉は漢字ばかりで内容に具体性が乏しく観念(抽象)的。安倍にフリートークをさせたくない官僚が用意した、悪文を棒読みするんだから、心が伝わらない。漢字を知らない奴が、漢字だらけの文章を読んでいるのが、めちゃくちゃ恥かしい。
実はこの写真
〈ちなみに、同ツイッターは当初この資料について「前日の答弁について準備したもの」と記していましたが、のちに「野党議員が準備したものです。一部誤解を招く表現があり、再投稿しました」と訂正。この訂正文、不誠実な政治家がよくやるやつだ。ダメじゃん……。(略)首相を完全に小馬鹿にした資料を用意したわけです。(略)相手を小馬鹿にすれば、確かに味方側の溜飲は下がり(略)でも、議員がそんな幼稚なことを率先してどうする。「云々」が読めない側の敵意を増大させるばかりで逆効果です。〉
そうですね。しかし、何を言っても蛙の面に小便、知らん顔の半兵衛で逃げまくる、隠しまくる、嘘ばかりつく卑怯者。ルールは無視で、規則を自分たちの都合のよいようにねじ曲げる、無責任で、言葉が通じない、史上最低のガキのような相手だから、みんなが「幼稚」になってしまう。
〈芸能人は、結婚しても悪事をしても直筆メッセージをよく出しますが、そのとき人が見るのは、内容以上に筆跡や誤字や言葉づかいです。
このたび沢尻エリカが出した直筆謝罪文の字は、とてもヘタ。〉(2月20日号)
この後、ピエール瀧まで話がおよぶ。メディアには持ち合わせない、能町の視点に感心する。だから、このコラムは大切。彼女の書くことや、エルトン・ジョンのインタビュー(NHK・BS)で、日本社会の古さと幼稚さがわかる。
〈世間で話題になっていない作品をわざわざ掘り起こして恐縮ですが、今月上映の「バイバイ、ヴァンプ!」なる映画がひどい。(略)「噛まれると同性愛者になってしまうヴァンパイア」が話のキモなのです。(略)コメディとはいえ、同性愛といえば女装! という固定観念も、同性愛と当然避けたいもの・滑稽なもの・禁断のもの・として描いていることも、あまりに古い。性自認と性指向の違いなんか、考えたこともないんでしょう。〉(2月27日号)
この映画のことはラジオの「Session 22」で荻上チキも話していた。
〈「ひろゆき」こと、2チャンネル創始者の西村博之氏がウェブメディア「ハフポスト」からフェミニズムについてインタビューを受け、これが軽く炎上しました。しかし炎上の仕方がちょっと複雑です。〉(3月5日号)
朝日新聞の論壇時評で津田大介がとりあげていて、なんのこっちゃと思ってたのがこれか。
〈感情と知性のバランスが崩れた社会では専門知が軽視されるようになり、専門家と市民の対立を招く。悪い典型となったのは、ハフポスト日本版の西村博之インタビューだろう。子育て政策などを取材執筆するライターの高崎順子がインタビューしたこの記事は、公開直後からツイッターで賛否両論が書き込まれ、否定的に見るフェミニズムの専門家と、肯定的に見る人たちの溝は深まり、記事が意図した対話や理解とは逆の方向に進んでしまった。〉2月27日/朝刊
この「言葉尻とらえ隊/390回/フラットに『フェミニズム』を語る機会はないだろうか ハフポスト」の中ほどと最後に、能町はこう書いている。
〈しかしこの炎上、西村氏本人よりも、インタビュアーの高崎順子氏とメディアがまるごと炎上したような形です。高崎氏は特に反論せず彼の言葉を聞きつづけたため、「フェミニズム」を掲げた企画でこんな偏見まみれの意見を垂れ流すなんてひどい、と大いに批判されたわけです。
企画意図は分かる。蛸壺化したネット議論空間を打ち破るために、ふだんフェミニズムとは遠い存在に人にあえて語らせ「ひろゆき側の蛸壺」の人とフェミニズムを結びつけたかったんでしょう。
(略)彼女は反論したそうなそぶりを見せつつ、あまり自説を披露しません。そのぶん、西村氏が経験を織り交ぜながら自信たっぷりに語る偏見がいっそう目立ち、やや挑発的な口調もあいまってソフトなパワハラのように響きます。
(略)こんなタイプの人を「フラットに」自らのフィールドに持ち込もうとしたハフポスト、すこし甘かったのではないかと思います。〉(3月5日号のつづき)
〈コロナウィルスの政府対応が場当たりすぎて、パンデミックになる前に世間がパニックになる嫌なご時世です。こんな時は、しょうもない芸能ニュースがほしいので(略)〉(3月12日号)
「非常時」には「しょうもない芸能ニュースがほしい」。
〈コロナ禍で暗いニュースばかりの今日この頃、こんなときこそ芸能ゴシップに浸かりたいものです。立川志らくの妻の酒井莉加さん、絶妙なタイミングでの不倫ニュースありがとうございます。ワイドショーで好き勝手に放言し、事情を知る人から反論されると「落語家なので」と逃げる志らくなんて私は視界に入れたくもありませんでしたが、今回ばかりは興味津々です(性格が悪いのは自覚してます)。〉(3月19日号)
軽くて意地悪なのがいい。そして4月2日号での抜群の批評精神に溜飲が下がる。
〈山手線の高輪ゲートウェイ駅(以下、文字数が多すぎるため、ゲ駅と記します)が3月14日に開業しました。〉
「ゲ駅」です。素晴らしい。
〈こんな駅だから、ふつう派手に行われる開業記念式典がコロナ騒動で中止になり、開業日が大雨に見舞われたのお似合いだと思います。〉このあと、この「ゲ駅」について、気持ちのいい「悪態」がつづく。
さて、『結婚の奴』である。
彼女の本でなければ、この装幀なら、まず手にとらない。ごめんなさい。書店で見かけていたのに、あまりの姿に知らん顔していた。
この本を読んでいると、ジャケットや目次、本文の見出し、注のデザインに納得するようになった。なんともいえない味わい、悪意を感じて笑ってしまう。
画面を対角線で切るデザインはジェームズ・テイラーの名盤「Flag」を思い出させる。あのLPジャケットのセンスとは異なる味わいで、『結婚の奴』の安物感はぴったり。内容がチープだというわけではない。傑作である。なのにこのデザインの「やっつけぽさ」と呼応しているのが不思議。奥付のレイアウトを見ると、まあ、ちゃんとしているから、これは全体を通してデザイナーの意図的なプランなんだろう。
左頁の小口側に、章ごとに一ヶ所、注がある。9Qで1行62字、これは無知か悪意としか思えない。苦痛。本文の行間はもう少しだけつめてもいいけれど、これはこれで一貫性があるともいえる。
頭から、別丁扉(ジャケットと関連したデザイン/特色1色、ジャケットの文字色と同じ)、本扉(ゴシック体)、目次、デザインクレジット、中扉(本文と同じ明朝体)。巻頭に目次をはさんで書名の扉が三枚ある。目次はすごい。目次とちがって、本文のタイトルには「の巻」がついているのはなぜだろうか。
常識を覆す、疑う時代を代表するひとだ。私はこうでしか生きられないとはっきりしている。一見冗談のようで、能町は真摯で控えめで純粋。自虐的と自分で言っている。しかし、逆説的な語り口でせまりつつ、正論なのである。
巻頭、こんな一行から始まる。
〈夫(仮)の持ち家についに引っ越した日の夜中、私は水状のウンコを漏らした。〉
油断してはいけない。このあと、何とも言えないリアルな告白にびっくりする。自分勝手といえばそうだが、好き勝手なこと言ってるわと、笑って済ませるには真剣で生だからひきこまれる。
〈夜中じゅう起きている日特有の一種おかしな興奮状態で、もう酔いもだいぶ冷めているはずなのに、堀内は妙に深刻なトーンになっていた。ちゃんと結婚したいし、いずれは子供が欲しい、という話をしながら「私はやっぱり子供を産まないと、女じゃないと思ってるから……」と、自分自身に焼き鏝でも押しあてるように言ったのだ。
あーそうなんだ、とかなんとか、おそらく返事にもならない返事をして、私は特に反論もしなかった。
だからそれは、私を責める言葉でも、当てつけでもないと分かっていた。「迷わずに子供を産みたい。他人はともかく自分はそう思っている」という意味での発言に決まっている。
しかし、その言葉は、私にどす黒い復讐心を燃やさせるに十分なものであった。
映画や本や音楽なんか私よりもはるかにたくさん知っていて、新卒でしっかり就職してオシャレで……そんな彼女がそう言ってしまう世の中なのだ。これが世間だ。彼女が世間に化けて私に迫ってきた。〉
〈しかし……、改めて目の前にいる、汗に湿った相磯さんの頭部から胸部までを眺めながら思う。
この人と、つきあうのか。いくら「とりあえず誰かとつきあう」が目標とはいえ、これでいいのか。
話していて不快な印象は少なくとも、ない。それなのに、私はなぜこんなにためらっているのか。容姿か。
容姿だった。
まさか自分が、ネットのなかから抜け出して実際の人間の男性とおつきあいしたりセックスする目的で会ってみて、容姿でこんなにも抵抗を感じるとは思わなかった。イケメンが好きだとか、ジャニーズ系がかっこいいとか、世間で言われるような典型的な好みにはまったく共感したことはなかったというのに、自分より背が小さいこととか、実年齢よりだいぶ上に見えることとかーーいやそれ以前に、実際おつきあいをするという前提で見てみると、男性という生きものの首から上の毛の生え方だとか、毛穴から脂や何かがにじみ出ていることによって光る肌ごか、細部の生々しさがそれぞれ鈍く主張して迫ってくる。こういった要素に私がこんなに抵抗を感じるとは思わなかった。〉
〈考えてみれば私は小学生の頃から、世間にあふれるヒットソングはなぜことごとく恋愛の歌なのか、という疑問を持っていた。世界には恋愛以外にも果てしなくもチーフが存在するのに、なぜ猫も杓子も恋の歌ばっかり歌って売れているのか、と。(略)
しかし、恐ろしいことにこの謎は長じるにつれて絶望のようなものに変わっていく。
つまり、恋愛ソングなんてバカバカしくて興味がない、と思っているのは私くらいのもので、世の中のほとんどの人間は本気で恋愛ソングが好きであり、だから恋愛ソングが当然のようにヒットしている、ということがうっすら悟れてきてしまったのだ。
私の見る世界は私が生まれてから、広告もテレビも雑誌も本もネットも、永久機関にエネルギーを保証されているのではないかと思うくらいずっと「恋愛」のネオンを発光させつづけ、巨大な拡声器で絶え間なく恋愛のすばらしさを謳っている。ふだん小難しいことを説いている人も、社会に向けて崇高な目標をかかげている人も、みんな恋愛という巨大なブラックホールの意義については特に価値判断せずに自ら突入していき、だらしない顔で楽しんでいるように見える。彼ら彼女らはたいがい恋愛してセックスして、いずれ結婚するし、そのうち子供まで産む。別れたり別の人とくっついたりして不倫したりという細かな波立ちはあるかもしれないけれど、おおむねこの大きな流れには反しない。
私は成人してもなお、まるでそのことに共感をおぼえなかったのだ。〉
〈そして、やっと、結論が見えはじめた。
どうやら、みんなが楽しんでいることになっている恋愛というやつを、そもそも楽しめない私のような人もいるのだ。(略)
誰にでも恋愛を勧める世の中がそもそも間違いなのだ。例えば私は趣味として大相撲が大好きだけれど、興味のない人にゼロから勧めようなんて気はさらさらない。なんとも思っていないものを「やってみたらよさが分かるから、絶対にいいからやってみよう」とゴリゴリ押しつけられる苦痛は分かっているつもりである。大量にはびこる恋愛推進派たちはそのへんが分かってないんじゃないの。
私はただ向いてなかっただけなのだ。うっかり人生に必須のものかと思って、何回も何回も試してしまったよ。まったく不毛でした。〉
〈高校生くらいの頃から、生に執着しない気持ちがうっすらと心の底に澱んでいる。積極的・具体的に死のうとしたことがあるわけではなく、正確に言えばいつでも「明日事故に遭って死んでも未練はない」というくらいの感覚。たとえば三日後に楽しみなことがあるからそこまでは生きよう、なんてこともなく、どんなに楽しみなことが控えていても、明日うっかり死んじゃったらそれはそれでいいや。という茫洋とした諦めがある。
この思いはどんなときも揺らがなかった。こうして大した希望を持たずに生きていることは、世間との折り合いについて悲観的に考え、すぐに絶望してしまう私を守る一つの方法だった。
ずっと消えないこの感覚について、私はそれをコンプレックスとも、克服すべき問題とも思っていなかった。むしろ、積極的に死のうとしたことがないだけ私は十分に幸せな部類ではないかと思っていた。〉
〈考えあぐねて、家で寝っ転がりながらスマホでレズビアン風俗などを調べる。さすがに根がレズビアンではないから、お金に見合う満足を得るには厳しいかな。いやそんなことよりも、相手をしてくれる人の気持ちを過剰に推し量って、ただむなしくなって死にたくなって終わりそうな気もする。そのへんの心のややこしさを無にして身体だけの快楽を楽しむなんてことが世の中に存在するんだろうか。
ホストなんてのもそうで、多めの内省と勝手に推察を抛ってあの空間に乗っていける気がしない。似たようなサービスは結局全部そうなってしまう、金払ってるとはいえ、こんなんを相手にさせて本当にすみませんという気持ちなって、楽しんでいるはずの最中に涙が止まらなくなる予感がするんだ。〉
下痢で始まるこの物語(エッセイでもないし、小説でもない)は、淡々飄々と進むのかと思いきや、引用した部分以外で、なんの、予想もしない劇的な展開がある。これは彼女の恋愛論、人生論の書なのだ。
高橋源一郎が毎日新聞3月29日の「人生相談」で「年配の男性、50代から80代くらいの人にひかれ」て悩む19歳の女性に、こんなことを書いていた。
〈用心しましょう。「ふつう」でないものは排除してもかまわないと思っている人たちに。同志はたくさんいます。性について、性だけではなく、どんなことでも深く考えようとしている人たちが。彼ら彼女らは、きっと理解してくれるでしょう。あなたの中にある、ほかの人たちとは異なる(ほんとうはたいしたちがいでもない)そのあり方は、実は、あなたをほかの人たちよりもずっと賢くしてくれる導きの杖になるはずです。〉
枕元においていた『結婚の奴』にベランダからの光と影。別バージョンジャケット、いい感じ。
〈花〉
近所に花が咲いた
こんな所にも花。数日後二つになった
きれいに刈り上げた松
京都御苑まだこれからだった3月21日の桜
満開だった京都嵯峨嵐山文華館の庭のしだれ桜
今日の一曲
Lean On Me/Bill Withers