音引き、『マシーンズ・メロディ』

またまた、サッカーワールドカップの話ですみません。

 

週刊新潮(7月31日号)の連載コラム「管見妄語』で、藤原正彦さんが私と同じ意見だ。

 

〈日本の致命的欠陥はここ五十年間、何はさておき守備陣のダッシュ力欠如だ。すぐに相手に振り切られてしまう。世界の速いフォワードは五十メートルを六秒そこそこで走る。六秒五のバックスでは十メートル並走しただけで八十センチも先に出られてしまう。勝負にならない。そして何より、ダッシュ力に自信がないと敵の逆襲が恐いからいつも後方に引き気味となる。前線と最終ラインとの間を狭く保つコンパクトサッカーができないのだ。(略)優勝したドイツは最もコンパクトサッカーに徹していた。日本代表の守備陣は、五十メートルを少なくとも六秒前半で走れる者のみにしないといけない。半ば生まれつきの能力だからかほとんど触れられないが、守備陣のダッシュ力がないかぎり、いくら監督や作戦を変え、いくら技術やチームワークを向上させようと、永遠に世界には太刀打ちできないのだ。〉

 

朝日新聞(7月30日)の記事で、日本サッカー協会の分析。

 

〈1次リーグ敗退に終わった日本代表について、主に二つの「敗因」があったと分析する。つたない試合運びのほか、暑熱対策などコンディション調整の失敗を挙げる。「コートジボワールとの初戦に百%の体調で挑めなかった」。原博実技術委員長は認めた。「(拠点のイトゥから試合会場に)試合前日に飛行機などで約5時間を要する移動の大変さ」も認めた。(一部、略)〉

 

体調が悪かったんだ。だれひとり、まだそんなこと言わない。見ていたらわかる。藤原さんの言っていることも、原技術委員長の分析も。

 

藤原正彦さんは作家・新田次郎の次男で数学者、エッセイスト。2010年に講談社から刊行された『ヒコベエ』のブックデザインを担当した。絵は浅賀行雄さん。浅賀さんとは『ジョン・マン』でも組んでいる。大好きな絵描きさんだ。描き文字は岡澤慶秀君。描き文字が必要なときは彼にお願いしている。

 

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そして、またサントリーの広告。別に目の敵にしているわけではない。今どき、シンプルで出来がよいから目立つのだろう。今回は音引き。かなり短い。駅や電車のほかの広告を見ると、みんな音引きを短くしている。売店で見た「チップスター」は究極か。短いのが好きなひとは、フォントメーカーに異体字で音引きの長さを変えたのをお願いするかな。でも、ベタ組で組む時は短いと困る。ためしに組んでみた、音引きはそんなに長くないと思うけど。字間のアキで感じは変わる。(見本はベタ組みとツメ組み。書体は游明朝体五号かなM)

 

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余談。「つめたい」というキャッチコピー、文字を「詰めたい」とかさなる。それほど、この広告の文字はツメツメだ。

 

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それにしても、このポスターと中吊りの正面向きの井川遥さん、ほれぼれします。よく撮れている。感心しました。

 

『マシーンズ・メロディ』(B5変型、170ミリ×240ミリ、並製、DU BOOKS刊/ダヴィッド・ブロ&マティアス・クザン著/山田蓉子訳/原題:Le Chant De La Machine)が面白い。書店の棚の上の方に面陳してあったから、タイトルを見てこの本を手にとったのではなく、帯の〈マンガでわかるハウス・ミュージックの歴史〉という文句で気がついた。フランス人の目から描かれた、ディスコからハウスまでの物語とは知らなかった。翻訳はわかりやすい。ページ下の欄外の注釈は、詳しくて助かるが、文字が小さくて辛い。

 

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〈1970年代初頭NYのアンダーグラウンド・ディスコ・カルチャーに端を発するDJカルチャーと、そこから生まれる音楽、その末裔たるヨーロッパのレイヴ・カルチャー、それ以降のクラブ・カルチャーを描いた作品〉(河村祐介、解説より)

 

ジャケットの絵は本文のコマから選んでいる。仏版のオリジナルはシンプル。日本版のジャケットの中央にあるスピーカーコーンだけ。書体は、タイトルが描き文字(既存のフォントをもとにして変型させたか)、サブタイトルがUD新ゴ R、著者名などはロダンEBのようだ。

 

知らないミュージシャンが半分以上。それでも面白い。興味があったのに、私が80年代以降に熱心に聴いてこなかったジャンルの音楽。それで帯のコピーにつられた。「Velvet Underground & Nico」のニコが1988年イビサ島で、自転車が転倒して亡くなったというのをこの本で知った。

 

第1巻(2000年)と第2巻(2002年)が一冊になっている。前半と後半では絵も話の気分も違う。最初はロバート・クラムの2000年版、第7章以降はラフなタッチだが自分の絵になっている。マンガを描いたマティアス・クザンが、このあと亡くなったのが残念だ。

 

〈この作品を描き上げさせたのは、なによりも彼らのハウス/テクノといったダンス・ミュージックへの愛だろう。辛辣な意見もそれゆえの言葉であることが本作を通して読むと容易に伝わってくるのだ。人生を変えるほどの体験をしたダンス・カルチャーのムーヴメントに対して、いまだにそれを自問している。この問い、音楽ムーヴメントをマーケティングでつくるなどとうそぶくような輩には、一生理解できない問いではないだろうか。〉(解説より)

 

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後半がこの本の真骨頂かもしれない。現代の疑問をぐっとついてくる。飯島洋一さんやオシムさんの批評と通じる。

 

〈2000年代に入ったけど、大したことはなかっただろ? 子どもの頃に思い描いていた2000年っていうのは大きなターニング・ポイントであり、未知への飛躍だった。〉〈そしてその後はなにもない。未来は当分やってこないんだから、そのぶん頭で想像すればいいということになった。(略)2000年も2001年もたいしたことはなかった。誰も未来を描けなくなった〉〈…つまるところ、2000年代の未来は問題だらけ。不気味でグレーな日常がやってきたんだ。〉〈結局この世界はちんけな乞食社会のグローバル化だし、帝国主義的な共同体だし、俺たちはハイテクなホームレスだ。「ブレードランナー」の世界に生きているみたいなもんだけど、気分は悪いよ。こんな世界でどうやって夢を見ろってんだ?〉

 

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この本にはたくさんの書体が使われている。フランス版原書の雰囲気に揃えたんだろう。

 

(欧文と一部の和文書体は、この本の編集者でありデザイナーの江森丈晃さんに教えてもらった。ご本人は〈注釈〉にロダンも使っているということだが、和文はUD新ゴのセットだけみたい。ロダンはジャケットかな)

 

〈謝辞・introduction・本文の地の文(斜体)・p184のマティアスの追悼〉は、しねきゃぷしょん。ジャケットの袖と本文の〈プロフィール〉および〈奥付・解説〉は、漢字=ヒラギノ角ゴW8、仮名=游ゴシック体初号かなE。〈ダフト・パンクによるまえがき・はしがき〉は、UD新ゴ M。〈本文吹き出し〉は、漢字=UD新ゴ Rと仮名=UD丸ゴ Rにのセットに斜体。 〈テレビの音・電話の声〉は漢字タイポス410に斜体。〈注釈〉は、漢字=UD新ゴ Rと仮名=UD丸ゴ Rのセットに長体、欧文はComic Sans。

 

〈扉タイトル〉Citizen Bold〈扉アーティスト名〉Abadi MT Condensed Extra Bold Regular

〈扉楽曲タイトル〉同/Light Regularに15%斜体〈ノンブル〉Citizen Light Regular

 

そうそう、「文藝春秋」8月号で、今年プリツカー賞をとった建築家の坂茂がこんなことを書いていた。

 

〈一般建築と人道活動を同時に進めることは、建築家としてある種のバランスを取ることです。歴史的に建築家は、お金や権力がある特権階級のために、モニュメント的な建物をつくってきました。しかし、その経験と知識は一般の人にも役立ち、特に自然災害で家屋を失った人たちの手助けになります。そのような活動は建築家としてバランスが取れると考えていたのです。〉〈11年のカンタベリー地震でニュージーランドのクライストチャーチに「紙の大聖堂」をつくったとき、私の考えに変化が起こりました。(略)私のなかで対極にあった特権階級向けの建築と災害支援の活動が、いまや境目なく融合しはじめています。〉

 

飯島洋一は、「ユリイカ」の特別寄稿では坂茂についてはほとんど言及していない。坂は、飯島の現代建築批判を読んだだろうか。

 

今日の一曲は、二曲に。『マシーンズ・メロディ』に登場するミュージシャンで、私がよく聴いていた曲。

 

Stop This Crazy Thing/Coldcut featuring Junior Reid

 

The Whistle Song/Frankie Knuckles