本の雑誌、教会、◯◯妻、ベルリン
ずいぶんブログをさぼってしまった。昨年の秋、ベルリンとポーランドの旅行から戻ったあと、10月29日に更新したまま、11月、12月は何も書けなかった。みなさま、どうもすみません。正月休みに原稿をためる計画も失敗。
今年は、デザインやタイポグラフィで気になったことや本の他に、しばらくベルリン旅日記の二本立てでいくことにする。
ブログがとどこおったのは「本の雑誌」の連載の原稿や資料調べを言い訳にできない。原稿は約1000字ですから。11月にはそのお知らせや、高橋信行さんのBASE GALLERYでの個展、小出由紀子事務所の福田尚代さんの個展と作品集のことを書くつもりだったけどできなかった。これもすみません。
BASE GALLERYアドレス
http://www.basegallery.com/exhibit_takahashi14.html
小出事務所アドレス
http://www.yukikokoide.com/
「本の雑誌」の連載は「装丁がんこ堂」という編集部がつけてくれたタイトルで、本文の真ん中あたりの色紙の部分の1頁。1月号は浅野いにお『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 1』をとりあげ、発売中の2月号は『繁栄の昭和』の装丁と本文、来月10日頃発売の3月号には新書の帯について書いた。編集部の要望で新刊を取り上げてほしいということなので、古い本のことはなし。よかったら読んでください。
自宅の近くに、プロテスタントの日本キリスト教団十貫坂教会がある。中野の十貫坂はこの教会とは違う場所にあるので、昔はそっちのほうにあったのだろうか。ここの日曜日の説教のタイトルをiPhoneで撮りためている。最初に気になったのは、筆書きのカギ括弧だ。不思議な括弧。そのあと、書かれているタイトルに普遍的なアイデアだが気が利いているものや、なんだかわからないけれど意味深なものに気づいてひとりで楽しんでいる。信者ではないので、牧師さんのお話を聞くわけではなく、看板のタイトルを見て面白がっている。こんなことをすると、不謹慎だと牧師さんや信者さんから叱られるかもしれない。でも一度ミサに参加して説教を聞いてみたい気もする。この〈日曜説教看板コレクション〉を一挙紹介するつもりだったが、ひとつずつやることにする。
その1 2015年1月4日(日)
年末からお正月にかけて本の片付けを本格的に始めた。大阪の実家と早稲田の事務所、自宅の本を大量に処分するために整理していたときに見かけた看板。なにしろ「全てを捨てよ」だもの。家や事務所を本で占領されている自分には、この言葉はぐっとくる。(つづく)
新番組の水曜ドラマ「○○妻」。柴咲コウ主演。メトロの中吊り広告を見てビックリ。ここではねるのか。番組を見て二度ビックリ。デザインと書体が違う。どちらも既製の明朝体(番組は筑紫オールド明朝、中吊りはリュウミンを元にしているかな? いつものように字游工房の鳥海さんと岩井さんにたずねてみた)を変型しているようなのだが、いじっている部分が違う上に、元の書体も別物(これがすごいね。番組のタイトルと広告の文字のデザインが同じじゃなくていいの?)。番組版のほうも筆順だとこうはならないだろう。ここをつなぐのか。しかし、なんでこんな下手な加工をするのだろうか。ため息がでるくらいかっこ悪い。ちゃんとしたタイプデザイナーに依頼する時間も予算もないのだろうか。
もうひとつ、もっと下手な文字の加工。デザイナー諸君、こんなことをしてはダメです。メトロのステーションコンサートの告知。やけくそか。東京のメトロの広告のひどさには目を覆いたくなる。ロンドンの地下鉄を見習ってほしい。メトロの広告こそよいデザインのものを作って、他のデザインをリードするようにしてほしい。
私の好きな京都のアンティークのお店「Umwelt」の〈張り子のお面展〉のお知らせ。京都に行く度にのぞいている。
ベルリン旅日記 1
前回書いたように、10月15日からベルリンとワルシャワへ行って26日に東京に戻った。去年はベルリンの壁が崩壊してから25年。それとは知らずにベルリンに出かけた。
ドイツは「芸術新潮」2005年の8月号の取材以来2回目。その旅は6月だった。3班にわかれて、ケルンとバーデンの温泉とライン川の班、平出隆さんの北海とバルト海の灯台巡りとベルリン班、私はフランケンとバイエルンの班で、編集の高山れおなさん、パリ在住の写真家小野祐次さん、ウィーン在住のコーディネーター兼通訳兼ドライバーの小笠原正佳さんと一緒の珍道中。ヴュルツベルグからバイエルン、ロマンティック街道、ミュンヘン南下。ドイツルネサンスの巨匠リーメンシュナイダーの彫刻とバロック、ロココ建築を追いかける。最後はドイツの最高峰ツークシュピッツェの頂上まで登るおまけ付きだった。このときの案内人小笠原さんはとても愉快なひとで大酒飲み。すでに肝臓がかなり悪化していたようで「いつ死んでもおかしくない」と医者から言われていた。残念ながら5年後の2010年にウィーンで亡くなった。
その3年後の、2013年の6月に初めてウィーンを訪れた。小笠原さんとは亡くなる数年前に、日本に里帰りされたときに新潮社の近所のバーで飲んだ。しきりに一緒にいた編集部の美女二人を口説いていた。ドイツの旅ではたった二週間ほどいっしょにいただけだったけれど、忘れられない人だ。ウィーンでもう一度お会いしたかった。
そのティルマン・リーメンシュナイダーTilman Riemenschneiderの彫刻2点がベルリンのゲメルデガレリーGemäldegalerieにあった。10月17日。「芸術新潮」の取材ではこれらを見ていないが嬉しかった。ここはベルリン・フィルハーモニー・ホールの隣にある。写真は美術館からホールの眺め。遠くにソニーセンターが見える。(つづく)
今日の一曲はこれです。
First We Take Manhattan (then we take Berlin)/Leonard Cohen