池内恵、ロバート・クラム、中吊り、立川寸志

2月も更新は1回だけで終わり3月になった。このブログは、なんだか雑誌みたいになってしまう。ついつい話題をたくさん入れてしまう。今回も長くなった。これでも省いた話がある。次からはもっとシンプルに心がけよう。

 

「本の雑誌」の連載は3回目。新書の帯のことを書いています。3月10日頃発売の4月号にも新書のつづきの話。

 

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西部邁が「大竹まことのゴールデンラジオ」に出ていた。

 

大竹の質問「今の、日本の政府とかISとかこういうのは、どういう風に西部さんの目には見えてらっしゃるんですか」

 

「僕ね、日本の政府でいうとね、くだらない話だけど、僕はたとえば安倍晋三さんが第一次内閣のあとね、落ちぶれたときに一所懸命、影で応援していたのは僕だけなんですよ。僕の趣味のひとつでね。世間からぶったたかれて傷ついた政治家をね、ひそかに助けるというのは楽しみのひとつです。ということは、同時にそのひとが復権したらね、ほぼ絶対近づかないっていうね。そういうことは中曽根康弘さんのときもしてたんですけど。安倍さんもそれやった」

 

「僕は、政府とか政治家のこんな国でしょう。というのは、まずひとつに馬鹿な選挙民しかいないわけですよ。いないといえば言い過ぎだけど。と、次にアメリカという馬鹿な国に首根っこおさえられているでしょう。なんの楽しみで政治家になるのかなという不思議はありますが、とにかくなっちゃったらね、せいぜいこの程度のことしかできないから、僕は政治家の悪口はいわないことにしている。ただ悪口を言いたいのはむしろ国民、選挙民ですね」

 

「近々の例でいえば、小泉みたいに僕にいわせれば変なひとに8割支持して、5年たったら真逆のね、民主党という変なグループにまた8割で支持して、3年後かなんかになったら今度は安倍晋三を8割で支持してね、こんなね、ほとんど脳震盪おこしたような選挙民が選ぶような議会ね、そこで、それによって政府は動くわけですよ。こんなものの悪口を言っててもしょうがない」

 

そうだろう。馬鹿な選挙民に似合う馬鹿な政府ということだ。なぜ、選挙民はこんなに馬鹿になったのだろう。毎回の投票率の低さも馬鹿の証か。橋本治さんの『バカになったか、日本人』を読みたいのだが、故があってなかなか触手が伸びない。それは橋本さんのせいじゃない。

 

バカになったか書影

 

『イスラーム国の衝撃』池内恵/文春新書/2015年1月刊

 

「イスラーム国(ISIS)」について知るにはベストの本。しかし、このことに興味をもって新聞やテレビやネットの情報を、こまめにチェックして考えていないと簡単に読めないかもしれない。

 

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〈「イスラーム国」は、独自のイスラーム思想を打ち出しているとは言えない。〉

 

〈その手法や主張に斬新さはない。一般的なイスラーム教信仰のうち、過激な武装闘争を正当化し、近代国家や国際政治の規範に挑戦するために有用な部分を抜き出して提示するという、イスラーム法学の通常の手順を踏まえただけのものである。〉

 

〈思想としての目新しさのなさ、より正確に言えば、目新しい思想を提示することへの無関心こそが、「イスラーム国」の特徴だろう。それは「イスラーム国」の歴史的な位置づけにもふさわしい。すでに近代のイスラーム主義の過激思想は、要素が出尽くしているのである。

過激思想に強く賛同しない市民は多くいる。人数から言えば、そちらが多数派だろう。しかし過激思想を適切に論駁する論法も尽きている。イスラーム教を共通の典拠とする以上は、穏健な解釈と過激な解釈は、どこまでいっても「見解の相違」として平行線を辿る。スンナ派では、特定の解釈を上位の優越するものと認定して強制的に施行しうる主体がいないため、過激派が勝手に行動することを止められない。過激派の行動を実力で阻止してきたのは、各国の独裁政権であり、その統治の不正義や暴虐こそが、過激派を生み出す根本原因ともなっている。独裁政権の暴力に頼っている限りは、過激派の発生は止まず、かといって過激派の抑制には、独裁政権を必要とする。このジレンマにアラブ世界は、疲れ切っている。さらに「アラブの春」によって、そのような独裁政権は意外な脆さを露呈し、暴力による抑制すら不可能になった。

途方に暮れ、戦乱に怯えた市民の前に、「議論は終わった、行動あるのみ」と言わんばかりに、一方的に宗教理念を提示し、従わなければ、実力行使で殺害・排除する、という集団が現れた。それが「イスラーム国」である。〉

 

〈メディア戦略の巧みさは、グローバル・ジハード勢力に共通しており、「イスラーム国」に特有のものではない。9.11事件以降、米国の徹底的な対テロ戦争の追跡を恒常的に受ける立場となったアル=カーイダ系組織は、アフガニスタン・パキスタン国境地帯や、イラク・シリア国境地帯などの各国政府による支配が弛緩した地域に物理的な聖域を見出して、潜伏の場所や活動の拠点を確保していったが、それと並行して、インターネットや衛星放送などメディアのヴァーチャルな空間に、自由な活動の場を切り開いていった。電脳空間こそが、グローバル・ジハード運動の主たる「聖域」となったのである。〉

 

〈このような現代の国際社会の規範を逸脱する結論を、イスラーム教の神聖な啓典やそれに準ずる教典から導き出すことについて、世界のイスラーム法学者は、どのように反応しているのだろうか。このような法学解釈の根拠や論理展開に正面からら反論する学者が出てこなければ、過激思想を正当なものと見なす次世代が育ちかねない。イスラーム世界にも、宗教テキストの人間主義的な立場からの批判的検討を許し、諸宗教間の平等や、宗教規範の相対化といった観念を採り入れた、宗教改革が求められる時期なのではないだろうか。〉

 

〈現在の問題を扱っているため、言及する個々の出来事は、リアルタイムで世界に報道され、データベースに収められて、公知の事実となっている。英語のインターネット空間に広がった膨大な公知の事実は、それを適切に引照し議論する専門家集団を中核とする、成熟した市民社会に共有されることで意味を持つ。日本にそのような市民社会はあるのだろうか。〉

 

これは『21世紀の資本』のトマ・ピケティがNHKの「クローズアップ現代」のインタビューに〈全ての人が意見を持つべきだ。問題を理解した上で意見を言わなければならない。全ての人がこうした問題を直視し社会と経済に主体的に参加してほしい〉と話していたことと通じるように思える。

 

すこし前まで「イスラーム国」について、テレビで評論家やコメンテーターがいい加減なことを喋るたびに、「おまえら、池内さんの本を読んでないのか」と画面にむかってののしったものだ。

 

池内さんのブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」がある。

 

http://chutoislam.blog.fc2.com/

 

1月20日付の〈「イスラーム国」による日本人人質殺害予告について:メディアの皆様へ〉の池内さんの心意気が気持ちよい。2月14日の〈「イスラーム国」の表記について〉でNHKの「イスラーム国」の呼称の変更について語っている。3月4日のフェイスブックでは、この自著『イスラーム国の衝撃』のいまごろ載った朝日新聞の書評にふれつつ、啖呵を切る。

 

TIME誌の巻頭、目次の次の次に「Briefing」というページがある。ニュースの中でのいろいろな人のコメントが1ページでまとめられている。2月2日号で「Charlie Hebdo」紙の編集者の言葉があった。

 

「私たちは宗教を攻撃しないが、それが政治に関与した時はやります」

 

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ロバート・クラムが、1月15日にフランスのLiberation紙に頼まれたモハメッド(ムハンマド)の絵がある。他の画家の絵にまじってクラムも描いている。彼の「毛だらけのモハメッドのケツ」の絵は「ユリイカ」の2月号で見ることができる。小野耕世さんがCharlie Hebdoのことを書いていて紹介している。クラムらしい皮肉が利いていて〈ケツサク〉。こういうからかい方ははさすがに上手い。

 

http://www.liberation.fr/societe/2015/01/12/charlie-traits-pour-traits_1178940

 

アメリカ人のCelia FarberがCharlie Hebdoのことについて、彼にインタビューした記事がObserver紙に載っている。ロバート・クラムの最近の写真が見られて嬉しい。これは朝日新聞で高橋源一郎さんが紹介していた。

 

http://observer.com/2015/01/legendary-cartoonist-robert-crumb-on-the-massacre-in-paris/

 

 

長くなるが、すこしこの「オブザーバー」紙のインタビューを抜粋する。クラムは変人じゃなかった。

 

〈他のジャーナリストは誰も電話して来なかったのですか? ほんとに?〉

 

RC:うん、君だけだよ。あっちじゃ、もうジャーナリストなんていない、みんな広報係だよ。今、アメリカにいるのはそんな連中だけ。25万人の広報係。本物の報道記者やジャーナリストはどんどん減っている。

 

RC:僕が住んでるこの村(フランス南部のラングドック地方)でも昨日役場の前でデモがあったよ。30人ぐらい集まって「わたしはCharlie」の看板を掲げてね。

 

〈あなたはどこにいたの?〉

 

RC:うん、行ったよ、もちろん。僕は村のマンガ家だからね、行かなきゃならないんだ。(笑)

 

RC:「Charlie Hebdoは、ムスリム過激派を侮辱するマンガをたくさんの載せてきたよね、うーん、それを続けてて、でも、彼らにとってはそれがすべてじゃなくて、誰もかもからかったんだよ。ローマ法王、この国の大統領、みんなだよ! ほんとにとってもおかしな雑誌だよ。誰に対しても遠慮したりしない。ね、彼らは誰もみのがさないんだ、それはいいことだよ。

 

〈このことを最初に知って、あなたの中でのリアクションはどうでしたか?〉

 

RC:9.11が起きたのときと同じリアクションだった。「神様、今やほんとに醜悪なことが起きています」。こういうことは、9.11と同じで政府に弾圧の口実をあたえるんだ、もっともっとね。“自国防衛” 中心。こういうのは右翼の主張の格好の餌食だよ。こっちの右翼はアラブがとても嫌いだからね。フランスじゃアラブ系の人口が500万ぐらいか、もっといるんだ。この国にはたくさんのモスリムが住んでいる、その多くの人は自分たちの暮しのことが精一杯で、他人に邪魔されたくないんだよ。あの種の過激派はとても少数なんだ。僕らにはそういう出身の友だちがいるよ、モロッコとかアルジェリアとか。彼らはみんな厄介はごめんだよ、それに彼らの子どもたちはもっと穏やかだよ。

 

(見た人のために)Liberation紙のクラムの絵に描かれていることの訳。「臆病なマンガ家」「へへ」「ただの冗談だよ」「ほんとは、これは僕の友だちのロスアンジェルスに住んでいる、映画プロデューサーのモハミッド・バクーシのおケツなんだよ」

 

〈絵の中:モハミッドの毛だらけのケツ〉

 

「ロバート・クラムーー犠牲になった仲間への団結を表してーー1月8日、15年

 

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この「金麦」中吊りにはちょっと驚いた。メインのキャラクターが、労働者諸君のモノクロ写真。森山未来。顔をしかめているように見える。発泡酒を飲んだときの、感動の表情か。2弾目の写真にはすこし動きがある。TVCFもモノクロだから、それと連動しているんでしょう。なんだかロシアやチェコのアヴァンギャルドの写真を連想する。『戦艦ポチョムキン』を思い出したりした。そんな意識で作ったんだろうか。おまけにメインのキャッチコピーは下の方に小さくはいっているだけ。森山の後に商品がずらりとならんでいるので文字はいらないのだろう。とにかく、今どきすごい。

 

この「金麦」もそうだけれど、広告のポスターは気がついたらタレントの顔ばかり。グラフィックなアイデアや表現は広告からなくなってしまった。グラフィック表現はもう時代遅れなのだろうか。文字はもちろんあるのだが、タイポグラフィ的快感は皆無。以下最近の車内で。

 

中刷_合体

 

こちらは、先週大阪で見たJR車内のポスター2点。

 

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木下大サーカス。懐かしい。とにかくてんこ盛り。もうちょっと整理できないものか。開催場所が〈奈良市役所南側〉というのに驚く。〈30年ぶり奈良公園〉にも目が行く。サーカスのポスターでしょう。もう少しなんとかしてほしい。電車の中でこんなにたくさんのイメージや文字を読み込むことは無理。あるいは、私のようにスマホで撮影してあとで見るのかな。そんなひといない。

 

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尼崎ボートレース。この女の子たちは誰? なんだかシロウトっぽいので、女性のボートレーサーかと思った。とにかくこのナマな存在感。デザインはBOAT RACE AMAGASAKIと欧文がメイン。Month.02は2月のことか。下の方にBOAT RACE尼崎のマークとロゴがあった。「GIII オールレディース競争」のそばにあるAmagami Six Cup。実はこの女の子たちはAmagami Sixというグループなのだ。〈ボートレースやボートレース尼崎の魅力を伝えるべく結成された6人組ガールズユニット〉で「ボートレース尼崎ガールズユニット~尼崎6人の女神」だそうな。わー。

 

尼崎丸久

 

彼女たちのブログに出ていたボートレース場にある「丸久食堂」。この「丸」の点の位置! そして、焼きそば、お好み焼きがどちらも300円。「食べログ」に出ていました。

 

立川寸志が二つ目になった。2011年の8月に立川談四楼さんに入門した。44歳、編集者。一緒に本を作ったこともある。それから3年と8ヶ月。これは入門した時にもらったメールだ。

 

〈実は、先日立川談四楼に入門しまして、落語家の前座見習い修業に入りました。まだまだどうなるかわからないのですが、なんとか食いついてゆくつもりです。

 

5年で二つ目になれない状況(実力)であれば、諦めて、また編集の道に戻るかもしれませんが、いま44歳、還暦までには真打に、、、と努めています。

 

初高座もまだまだ先です。日下さんに聴いていただけるレベルになりましたら、ご案内申し上げます。その節はよろしくお願いいたします。修業と言っても、俗世にまみれておりますので、またどこかで。。。〉

 

その11年8月24日、新宿の「川香苑」で彼の元同僚の若い編集者二人と私で壮行会をした。

 

3月1日に「お江戸日本橋亭」の寸志の二つ目昇進披露独演会にでかけた。上達して立派な高座だった。大学の落語研究会のときに全国大会で賞をもらったことがあるだけに、もともと口跡はよい。演目は「庭蟹」「鮫講釈」、談四楼さんが「井戸の茶碗」で中入り。そのあと「明烏」。師匠の談四楼さんがとても嬉しそうだった。自分の噺の枕や、最後の挨拶で何度も彼をほめて励ましていた。

 

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今日の一曲はこれ。

 

When The Battle Is Over/Delaney & Bonnie