マイラ・カルマン、黒川創

『Ah-hA to Zig-Zag』マイラ・カルマン/Cooper Hewitt/上製/ジャケットなし/ページサイズ:217ミリ×280ミリ/2014

サブタイトルは、31 objects from Cooper Hewitt, Smithsonian Design Museum

 

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マイラ・カルマンさんの新しい絵本。基本はABCブックだが、まともなアルファベットの本ではなく、工夫があるので面白い。2014年12月に改装が終わった、Cooper Hewitt, Smithsonian Design Museumのコレクションの中から31点を、AからZまでのイニシャルで紹介している。
扉には、「マイラ・カルマンがこの博物館に行きました。彼女が、コレクションから好きなものを選んで、あなたのためにこの本をつくりました。すべてあなたのために。」と書かれている。

 

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絵本の伝統にしたがって見返しまで全部本文。鯛焼きのあんこがしっぽまでつまっている。最後のページに、こんなことが書いてあった。

 

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「あなたのまわりのすべてのものはデザインされています。君のスニーカー、あなたの歯ブラシ、君のトイレ(もちろん!)そして、あなたの鉛筆だって。もし、あなたが博物館を開くとしたら、どんなコレクションをしますか? ミュージアムに手紙をください。(Ms.プラムさんがあなたのお手紙を楽しみにしています。)この住所です。

 

表4にはこんなことが書いてあって嬉しい気分になる。

 

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「31点の、おかしくて、よく出来ていて、美しくて、驚かされて、役に立つ、素晴らしいもの、それらはすべてあなたのまわりにあって、人々が人々が使うためにつくったものです。」

 

パッケージがおもしろいので、パズルまで買ってしまった。

 

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次にニューヨークへ行ったら、必ずCooper Hewitt, Smithsonian Design Museumに行かなくては。

 

『京都』黒川創/新潮社/2014年刊/四六判/上製/装丁:平野甲賀

 

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毎日新聞の日曜日の読書欄に、黒川君の著者インタビューがあり、読みたくなった。黒川君とは、彼が若いころからの知りあい。『水の温度』の装丁をさせてもらった(背がやけて、帯にかくれていたところに元の色が残っている)。

 

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〈私小説ではなく、自身にとっての「当事者性」を書いたのだと言う。「不良は中学出たら働き始めたし、大学出ても就職せずにくすぶったままのもいる。京都に帰省したら、同級生たちは生まれた所から数百メートル内にいるわけでしょ、そういう所にぼくの根があります。どこへでも行ける自由っていうのは笑っちゃう、そういう違和感はずっとあったよね。」〉

 

〈開き直りとか後悔とか、わかりやすく分類できない感情にあふれている。でも、読めば読むほど「自分の物語だ」と感じてしまう。〉

 

〈挫折し、不安を抱え、孤独を深めていく登場人物たちが実に魅力的だ。「わりにまっとうな人たちですよね。他人を食い物にせず、自分の足を食ってるっていうか。お世話になったことは覚えていて、何かの形でお返しをする信義がある。一方であきらめてもいる。そんな、当たり前の町の姿を回復したかったんです。」〉

 

そうか「当たり前の町の姿」か。
このインタビューは最後に〈リアリズム小説の傑作がここにある。〉としめくくられている。すごいね。このことばにつられて、ネットで注文してしまった。

 

小説は現在の話だが、登場する人たちの祖父母、両親、本人の三世代のことが時制を行ったり来たりして語られる。だからといって、いわゆる家族の物語のようには書かれていない。時間や人称が自由に入れかわる。標準とズームレンズを駆使して、時間が変化し、視点が変わる。突然一人称になったり、立体的にひとの人生が語られる。淡々としているのに、とても切ない。会話はもちろん京都弁だが、文章にも京都弁で語られているようなリズムがある。

 

京都といっても、中心部ではなく周辺の町だ。普通のひとたちのこと。なにも私が普通じゃなく特別ということではないが、この小説にでてくる人たちはもっもっと普通。普段、電車の中ですれ違う人たちといえばいいか。黒川君がインタビューで言う「生まれた所から数百メートル内にいる」人たち。京都という都市は、きっとそういう人たちで出来ているのだろう。

 

〈ーー友禅の着物は、どこで買うのがいいでしょう?ーー
 京都観光の若い娘たちから、そう訊かれる。いまだに、そのたび、自分が育ったころの下鳥羽の鴨川の汚い流れが、目に浮かぶ。〉

 

〈堤より、さらに川寄りの河川敷に暮らしていたので、足元のすすきの茂みごしに川が流れていく様子を来る日も来る日も、間近に見た。水は、どんどん、どんどん、どんどんと、流れてきて、目の前を通りすぎていく。泡立ち、黒と紫の間の濁った色になって流れていることが、多かった。〉

 

私は京都育ちではないが、子供の頃、大阪の吹田の家のそばにある安威川が、川沿いの染色工場の廃液で汚れていたことを思い出した。この本を読んでいると、年代もすこし違うし、土地も別なのだが、自分の子供の頃の景色や小さな出来事が浮かぶ。
小説の第二話では、田中関田町が出てくる。そこは私が小学生から絵を習っていた先生のお家があり、中学生のときに一度だけたずねて、夕食をごちそうになった。その師の前には、東福寺で修復作業をしていた先生についていた。結核で亡くなられたが、京阪電車の東福寺駅の近くの病院へ、母に連れられてお見舞いに行った。この二人の先生に、安威川をわたったその先にある町の、市場の二階の絵画教室で毎週土曜日に教わっていた。その川をわたったすぐには、阪急電車の相川駅があって、梅田にでるときはそこを利用する。しかし、なぜか母はその町では買い物をしない。そんなことがよみがえってくる。

 

〈世間は、いつも、そういうところに俺たちを誘い込む。自分でも、それに沿って、遠慮を重ねてきた。けれども、これでは、俺自身の願いがかなうときは、いつまでも来ることがない。〉

 

なんという諦観だろう。

 

〈ぼくたちがいっしょに歩いた道も、こうやって、だんだんに、過去の時間へと永遠に加わっていくのだろう。〉

 

この小説のテーマは時間だろうか。

 

〈男自身も、若いころ、とかくシャバでは虚勢を張った。だが、いったん逮捕されると、服役よりも、取調べ段階の警察での勾留が恐ろしかった。刑事らは皆、柔道、剣道などの心得がある。腹を突いたり、締め上げたり、足払いをかけても、こちらの体に痕跡を残さないすべを彼らは知っている。ふつうの市民相手に、そういうことはやらない。だが、見下した相手には、やってくる。〉

 

〈水場の仕事は、荒々しい。コンクリートのたたきに、太い蛇口から延び出る青いホースが這っていて、隅には排水口の丸く黒い穴が開いている。ただそれだけの空間である。しきりと汗は流れるのだが、体の芯は一日中、冷えている。主人の友禅職人は、皺を刻む額に、白髪を角刈りにした小柄な人だった。ときどき水場に入ってきて、「どや、はかどっとるかいな」などと言い、排水口の穴をめがけて、とぽとぽとぽとぽ……と、小便を落としていた。〉

 

残酷で、リアルで、シニカルなユーモアがある。

 

〈こんな中途半端に、チンピラの使い走りと、単純な賃仕事をつまみ食いしているだけでは、どこにも出口を見いだせない。学校をドロップアウトしてから二年が経つのに、長続きする勤めを探しだすこともできずに来た。かといって、はっきりアウトローの世界に踏み出すことにも躊躇したのは、父母や、かつての学校、塾の友人たちが属する世界に、まだ未練が残っていたからでもあったのだろうか?〉

 

〈市電が、がががっと音を立てながら車両を揺らし、急カーブで塩小路通りへと直角に曲がっていく。そのとき、カーブの外側へと、はじき飛ばされそうになる遠心力が働く。たいていの人は、足を踏んばり、これをこらえる。
 だが、人生では、そこに加わる遠心力になかば身をまかせ、所定の軌道から離れていく人もいる。〉

 

つらいなー。でも、この小説は淡々とわかりやすいことばで語られていく。私は、第一話の終わりがとても悲しかった。次の頁にすすめずにしばらく呆然としていた。

 

〈誰もが、各自の些末事に日々きちんと支払いを済ませて、きょうの日があるわけではない。そのことに、さほど突きつめた自責の念を、抱きつづけるわけでもない。むしろ、それを埋め合わせようとするかのように、人は、また次のいくらかの厄介を引きおこす。〉

 

これは第四話の最後に近い一節。

 

とてもいい小説だ。
普段はあまりフィクションを読まない。いまのところ、今年読了した小説は二冊。『その女アレックス』と、この『京都』。

 

友人が先月、去年小豆島に引っ越した平野甲賀さんに会ったら、この本のカバーの模様は障子の桟がモチーフだときかされたそうだ。いつもの平野スタイルの装丁。

 

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4月25日(土)に「タイポグラフィセミナー4/ブックデザイナーと書体」の4回目に出ます。全5回のうち、ほかのブック・デザイナーは私の人選。私が出番は、今回は主催者でこの企画の発案者、小宮山博史先生のご希望。本来は3月14日開催だったが、肝心の小宮山さんが急に北京のイベントに招待されてしまい、4月に延期になった。インタビューアーは、私に代わって鳥海修さんと、いつもの正木香子さん。みなさんおいでください。本日からネットでの申し込み開始です。

 

今日の写真は二枚。
最初は、クレーの絵のような歩道のタイル。二枚目は日本民藝館の白木蓮。

 

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今日はこの二曲(『京都』のために)。

 

Standing At The Crossroad/Elmore James

Goodnight/Steve Dobrogosz