私は詩をこう考える、いしいひさいち、 「G2」19、本の雑誌
『私は詩をこう考える』ポエムライブラリイ1/東京創元社/新書判/装幀:花森安治/1955年
デザインは前回の『谷川俊太郎詩集』と同じだが、こちらは〈ポエムライブラリイ〉の一冊目。谷川の本には、数字が入っていない。袖の広告ポエムライブラリイ/全6巻内容〉には、この第1巻と残り5冊の紹介がある。
第2巻「私はこうして詩をつくる I」 第3巻「私はこうして詩をつくる II」 第4巻「西洋の詩を読む人に」 第5巻「学校・サークル詩」 第6巻「現代詩はどう歩んできたか」
背が黄色だ。谷川の本の背は色褪せていたのだ。前回書き忘れたが、この本も天がアンカットでしおり(スピン)がついている。サイズは新書判(172mm×105mm)で、並製で表紙にチリがあってフランス装風は同じ。ジャケットの絵も同じだが、タイトルは『谷川俊太郎詩集』とちがって手描きの文字。このシリーズは全6巻ともそうなんだろう。全部揃えたほうがよいかな。生真面目な字である。別丁扉の紙は、谷川のとは違う和紙風。
本文9ポ/行送り14/41字×16行/天から24mm/地から20mm/ノドから15mm/小口から14mm
谷川のはこのシリーズとは別なんだろう。ジャケットのデザインを調べるために、探したらネットで、この1巻目が簡単に手に入った。奥付の後の広告を見ると東京創元社は、けっこう詩の本を出している。所載のどの文章も錚々たる書き手で、読み応えがある。
栞が入っていた。
冒頭は金子光晴。
〈そして、僕らは、詩作生活を通して、この時代をわかろうと努力している。この時代だけでなく、この時代の前後と、そのあり場所をしる手がかりをえたいと思っている。
それも十人一般のわかりかたでなく、身をもって実践することで、説明できない本質にふれたいと思うのであるが、直接そうしたものに遭遇するとき、それをいかに如実に表現するかということに、芸術家の苦しみがあるようだ。芸術は活写なりというのは、ふるいことばで、そのことばの意味の深浅のとりかたによって様々変わってくるでもあろうが、要するに、言いつくしているようである。〉
いしいひさいち君。5月1日の4コマにはおどろいた。こんなところに注釈をいれるか。それ自体がすぐれたデザインになっている。こんなのははじめてさ。これまでも時々4コマではなく細かくコマを割ることがあるが(それもいしい君の独創である)、これにはまいった。油断がならない。4コマの真の革新者の面目躍如。新聞だけでなく、違うものも見たくならないか。石井君の絵はデッサンが洒脱で気持ちよい。新聞朝刊は150円。このマンガのために毎日買っても惜しくない。
ノンフィクションの季刊誌「G2」19号(講談社)のデザインをした。ノンフィクションの雑誌だ。この号だけ私がやることになって、編集長の青木肇さんからNEWYORKERみたいな本にしたいということで、これまでのA5判からB5に変えた。イラストレーターを起用したいという希望もあり、本文のテーマにあわせていろんなひとにお願いした。「芸術新潮」をやめて、約一年ぶりの雑誌なので楽しかった。表紙は中村隆君。本文でお願いしたのは、南伸坊さん、丹下京子さん、伊野孝行君、岡本かなこさん、霜田あゆ美さん、最上さちこさん、西村ツチカ君、事情があって名前を出せないA君、石野てんこさん。私の大好きなひとばかり。おもしろい本になった。なにより編集者が情熱を持って作った雑誌。この「G2」をやっていて、本を作るには編集者もデザイナーもイラストレーターも、なにより理想とパッションを持つことが一番大切なのだと教えられた。こういう仕事ならもっとやりたい。22日には店頭にならびます。アマゾンでは予約受付中。
「本の雑誌」6月号。連載「装丁ガンコ堂」でアニメーションになった杉浦日向子さんの「百日紅」のことを書いた。それと岩波文庫の暗いキャンペーンも。
今日の写真。練馬にいた緑のクマさん。
今日の一曲
The Show Must Go On/Queen